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dunno logs

神山生活四年目

田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」を読んで

本社に出張に行った時にたまたま会社の横の書店で手にとった本。ただのタイトル買いだったのだけど、個人的にとても良かった。

最初に書いておくと、たぶんこの本の考え方は気にいる人もいれば気に入らない人もいるような内容で、どっちがいいとかではなく、考え方とか生き方の話しだと思います。

なので、私が気に入ったのも、単に「最近の」自分の悩みや考えにフィットしたからでしかなくて来年同じように読んでどう感じるか分からないです。

田舎に住んでいて感じるモノの価値のギャップ

田舎に住んでいると当然ながら農家の人も近くにいるし、道の駅に行くと朝から野菜を運んでいるのを見かけます。実際自分でも家庭菜園レベルでも作ってみるとその大変さがみにしみてわかります。
その一方でその野菜の値段は本当に安くて、もちろんプロが手慣れた方法で作れば効率もいいんでしょうが、それでも安すぎないかみたいな値段で売られるわけです。

また、自宅前にある小さなお店では道の駅等で売る和菓子(お餅やお団子、お赤飯など)を作っているのですが、たくさん入っていても 300 円台だったりします。
近所の食堂にいけば、家族3人で行って 3,4 皿おかずを取っても 1200 円あればお釣りがくるような値段です。(娘は 1 歳なので実質二人分ですが)

そんな中、私のようなサラリーマンプログラマが週に5日働くだけで、数十万という給与をいただいています。「週に2日も休み有るんか、ええなー」と前のおじさんに言われる事がありますが、何か申し訳ない気持ちになったりもするのです。

もちろんこの本の話で言えば、給与の中にはここまでに蓄積して来た技術への対価であったり、さらにそれを磨くためのお金も入っていると考えることもできます。たまたま今の世の中がプログラマという職が昔のパン職人のように特別な技術で、正当に評価されていると考えることもできます。

ただ、どこかでモヤモヤしたものがずっとありました。本当に僕は社会にとって正当な報酬を得ているのか、真っ当な仕事をしているのか。農家・和菓子屋・食堂の人たちと比べて自分の仕事は地域・社会にとってどうなのか。

小さくても本当のことがしたい

このフレーズは結構衝撃で、自分の中で騙し騙し正当化していたものの一部が崩された気持ちになりました。

私自身はあるウェブサービスの開発に携わっていますが、ずっとそれが本当に人の役に立っているのか納得が仕切れていませんでした。ただ、お客様は喜んでくれているし、売れるということは役に立つものを作っているのだと考えるようにしていました。けれどそこに「本当のこと」というフレーズが来ると、、、、、、違うのではと考えてしまう。

もちろん全てのウェブサービスが本当の意味では不要だとかいうつもりはありません。この本の中でも現代において小商いが可能なのはそういうITの発達の恩恵もあると書いてあります。私自身多様なITに助けられて生きています。(早く自動運転カー来い!)

食品も同じですが、どこまでが贅沢なものでどこまでがそうでないという線引きを個人の中でやったとき、私としては自分がやっている仕事は単に贅沢なものではないかと感じたというだけです。なので、実際お客様で本当に助かっているという方もいるはずなので、私が自身の携わるサービスを否定するつもりもありません。実際誇りを持って作って来ましたし、「じゃあどういう IT サービスなら贅沢じゃないの?」と問われても答えを持ち合わせていないです。。

「本当のこと」、、、難しい。。これも個人の生き方の話でしかないので、私は IT の世界で未来に突き進む人たちもカッコいいと思いますし憧れます。ただ、私の今のコンテキストにおいてそうは思えないというだけです。

腐る経済について

こういう資本主義がどうこうとか、利潤を作らないとか、自然に根ざした生活とかいう話になると、どうしても現実感がないですし、理想論でしょとか、あなただけの話とか、現実解を示せとか否定的な論調が先行しそうな気がします。また、賛同していても内心は「私の話ではない」と思う人もいると思います。実際私も自分への現実感はあまり無いです。

まず、IT業界に身を置く人間としては自分の仕事がどうすれば腐る経済のようなものに貢献できるかわからないし、いきなり衣食住の業界に転身という訳にもいかないです。簡単に言えば「生産する側に回る」方法が分からない。

東のエデンで「金をもらう練習」みたいな話しがあったけど、きっとそういう練習をしてこなかったからだなぁと思ったりします。
プログラマだって、ある意味生産手段である可能性はあって、きちんとそれを役立てて、対価をもらう方法があれば生産する側にいけるかもしれないですよね。でも、うーーーん、すぐに行動に移せるかといわれると変わらずサラリーマンを続けるのかもしれません。

ただ、この著者の人もようはそういうことを皆が考えるようになればいいなという事を言っているだけであって、皆が生産者になったり小商いをすることが一番正しいと言っている訳でもないんだと思います。

今の自分に何ができる?

例えば今の僕は運が良くて、そういう「良いと思うものを作ろう」としてる人も周りにいるのだから、そういう生産者の人からものを買うようにすれば、それは一つ貢献だし、「安いからこれでいいよね」「別に僕が買わなくても誰かが買うよね」じゃなくて、自分が少しでも支えていく、使っていくという気持ちを持つことも一つの貢献なのだろうと思ったりします。

それこそ「地産地消」なんてキーワードは意図がよくわからなくてあまり好きではなかったけれど、今はだいぶ良い言葉だと思えるように鳴った気がします。

もちろんいずれ自分も何か自分として「小さくてもいいから本当のもの」と思える事ができるようになれればと思います。

余談: オーガニック、有機野菜とか

個人的にはオーガニックとか有機野菜とかにはあんまり興味がありません。こういうワードを持ち出すと、だいたい両極端の意見しか出てこなくて、ポジショントークな気がするので話し半分でしか聞かない事にしています。「自然の力がみなぎっている」も本当なのかもしれないし、「天然毒素がぁ」も本当なのかもしれないですが、選択するのは自分でしかないです。

一方で、田舎で住んでて思うのは「鮮度こそがすべて」だったりします。気のせいかもしれないですが、やはり採れたてのとうもろこしを生でかじるのは最高だし、その場で作っている人(別に生産者とかじゃなく、単に趣味でやってる人)が抜いてくださる野菜は美味しいと感じます。

東京から数週間こちらに滞在してた同僚が言ってましたが、「田舎の食堂とか美味しいの当たり前ですよ。食材もそうだけど、バイトが作ってるんじゃなくて料理人が作ってるじゃん」これも、もちろん都会でもお金をそれなりに出せばプロが作ったものは食べられるし、田舎の食堂全部に当てはまるわけじゃないですが、妙に説得力がありました。(まあ、自分の地域が恵まれてるだけな気もします)

社会を変えるということ

この著者の方がやっていることは、「自分が資本主義の枠組みの中から出る」というのがもともとの目的で、文中では「革命」みたいな単語もみかけたりするけど、別に誰かを扇動して何かを為すとかではなく、自分がやっていることの輪が広がればいいぐらいの願いなのだと思います。

社会のことは「一人がやっても意味がない」「全員がやらないと意味がない」なんなら政治がやらないと意味がないと考えてしまいがちだと思います。僕自身そう思っていた一人です。

以前 Rebuild.fm で、「facebook, google の方針に賛同できないからそのサービスは使わない」という話しをゲストの方がしていました。すごく驚きでした。最初にそれを聞いた時、「そんな自分だけ不便になったところで、何が変わるんだろう」と思ってしまいました。

でも社会を変えて行くというのは小さな一歩の積み重ねなんだろうと最近考えるようになりました。(自分がそういう活動をすることに無知すぎただけかもしれません)

ダウン症を受け入れられる社会

先日ダウン症のお子さんを持つお母さんが主催する、子供向けの英語リトミック教室に行って来ました。 行く前の印象は、「ダウン症のお子さんを持つというのは大変なのだろう。例えばどういう支援が求められているんだろうか。」のようなものでした。困っているだろうな、助けてあげられるかな、みたいないかにも上から目線というか我ながら恥ずかしいです。。

実際行ってみるとダウン症のお子さんも 3 名参加されていて、私も娘もダウン症の子達も一緒に遊んで、子どもたち(だいたい 1,2,3 歳)は特に分け隔てなく遊んでいて、たぶんその時頭に「?」マークが付いていたのは自分だけだったのではと思います。
たぶん、私自身は小学生の頃も障害者の同級生は別の特別な学級に分けられていて、あまり交流もなく、「何か特別な人たちが居た」という印象のまま大きくなっていました。
一方で、今回のような教室で日常的に同年代のダウン症の子達に触れ合っている子どもたちは、少なくとも今の段階ではそこに変な感情を持つことが無い。もちろん、大きくなるにつれて何か起こるかもしれない、けれど、今、彼彼女らにはそういう下地ができているのは確かなのだなと。

お母さんたちとたくさん会話はできなかったのですが、なんとなく「この人達は具体的な支援を欲しているんではなくて、自分の子供達が自然に受け入れられる社会に変えていこうとしているんだな」と感じました。

もちろんそこに当日集まった親子は10組にも満たないです。けれど、私の娘はもちろん、私達親世代もこれまで抱いていた小さな偏見を取り去ることができましたし、その日は食事をしながらそういう事を話す事ができました。

きっと小さな変化なのだろうけど、社会はそうやって変えて行くこともできるのだなと思いました。実際私は少しですがそのイベントを通して考えを変えられた訳ですし。

発酵とキリスト

急に話題は代わりますが、聖☆おにいさんを読んでいて、「なんでキリストは石をパンに変えるのか?水をワインに変えるのか?」って疑問だったんですよね。パンとかワインって現代の食べ物みたいなイメージがあったんですが、それがそもそも間違っててどちらもすごく昔からあって、 そういう「発酵」という現象が古代の人にとって神聖視された結果パンやワインがキリストに紐付けて語られるようなものになった (のかどうか正しいのか分かりませんが)というのを知って、すごくびっくり納得。

id:kasuga-2-19-1-100110 さんに教えてもらいましたが、私の書き方は実際と異なっているようなので打ち消し線引きました>< ありがとうございました!

なんか「発酵食」とか「食品業界の新しい押し売りワードかー」とか思って時期もありましたけど、この本読んで発酵に対してはすごく素晴らしいものという意識に変わりました。ビール最高。

育てるではなく、育つ環境を作る

野菜を育てるのに土づくりが大事。ちょっとだけ家庭菜園しただけの私でも数年やっていればなんとなく分かってくることです。(実際すごくまわりから言われるし)

この本には、それを経済や人に対しても当てはめているのが面白いなと感じました。特に人に対しては興味深くて、「育てる」という意識があったから育成に失敗したというもので、大事なのは「育つ」環境を用意してあげることだというものです。

ベンチャー」みたいな会社にいると、新卒も下手をすると「入社したら自分の力で泳げ」になってしまうことがあります。そういうのに適応力が高い人は(おそらく無理をしながら)吸収し育っていくのですが、そういうペースで成長するのではない人は脱落しかけてしまう事もあります。「環境が人を作る」的なことは実際事実だとは思うものの、それを当人の努力(ありていに言えば残業)でカバーするのに期待してしまうのは、個人的に「うーーーん」という気持ちがありました。

この著者の人が結果として「徒弟制度がいいのでは」というのも面白くて、「アプレンティスシップ・パターン」を思い出したりしました。

こういうのは人事的な事なのかもしれないですが、自分自身も「成長目標」を毎期定めて評価されている身なので、会社として「エンジニアが育つ環境作り」というのはどういうものか考えてみるのも面白いなと思いました。(まあ、そこに「腐る経済」の話しを入れてしまうと、最後は円満離職してしまんでしょうけど