娘の保育所の修了、小学校入学

f:id:dany1468:20210401091811j:plain 休日になれば花見客で賑わう場所に娘の通っていた保育所があります。

保育所の修了

元々は3歳ぐらいまでは保育所にも通わせずに家で見ていようと思っていましたが、2歳になるぐらいの時に私が大病を患ったことをきっかけに(私自身の生活に支障が出る状態ではありませんでしたが)保育所に通わせることを決めました。翌年の 4 月からだったのでちょうど 2 歳半ぐらいの頃です。

それから4年間、後半はコロナ禍の中ではありましたが、しっかり通い、また先生方には良くしてもらい無事修了することができました。

f:id:dany1468:20220317091820j:plain

最初は4人のメンバーから始まり、一時的な保育だった子が一人抜け、その後一人加わり、また2人加わり、入ったり休んだりの子が一人いてで、最終的には7人のクラスで終わりました。

残念ながら修了式には一人出席できず(濃厚接触者になってしまい自宅待機😭)でしたが、リモートからビデオ通話で参加し、児童が交代で言っていく修了の言葉も「〇〇ちゃんの番だよー」と他の児童からのフォローもあり、無事に乗り切れていました。

4 年間を振り返って

最初の 1 ヶ月程度こそ、登所時に教室で泣いてしまうこともあったものの、その後は非常に安定していて、担任になってもらった先生方からも「安定してる」と感想をもらっていました。
とはいえ、兄弟もいないので弟妹ができて急に母親が恋しくなるようなイベントもありませんし、両親共にハードワーカーというわけではなく、ほとんど食事も一緒にしていたので、安定した家庭環境を維持できていたのかもしれません。(唯一、私が一ヶ月間出張していた時には保育所でも多少不安定だったようで、かわいいなと思いました)

友達関係で悩むことも年中の頃には何度かあり、その時には担任の先生にも相談していました。
未就学児とはいえ、派閥争いや気が合う合わない、言うことを聞いてくれるかそうでないかなどで仲間外れにされてしまうこともあり、クラスの中でも一番背が低く、けどきちんと主張する娘はクラスのボス的な女の子に少し敬遠されていたようです。
一方で娘はその子が保育所でも最初の友達なので、そういう状態でも「一番好き」だと言うスタンスは崩さず、年長になる頃にはまた仲良しのクラスになっていました。(それでも時期によっては、「男の子と遊ぶしかない」と愚痴ったりしていたので色々あったのでしょう😅) 年中の頃の先生がベテランの先生で、助言もしてくれつつも、メンバーの間でいざこざもきちんと解決させようとしていて、我々親が子供あつかいし過ぎていたのかなとも反省しました。

6,7 人のクラスなので、運動会や発表会となると一人一人の担当ぶんも大きいですし、割と思い切ったことをやらせてくれるので、毎年楽しみでした。
年中の時の発表会で、全員が個別に好きなキャラクターになりきって一人 1,2 分のパフォーマンスをした時は笑いもありつつ、素晴らしかったです。そういう場面でも一番手を勝って出る娘を頼もしくも思いました。(本人が言うには「誰もやりたがらなかったから仕方なく」だそうですが) 一番小柄な体格ながら、足は速いらしく最後の運動会では男の子に混じってアンカーを任され、残念ながら2位でしたが「もっと速く走れれば><」と悔しがっていました。(リレーなので、既にバトンが渡った時にはだいぶ差がついてしまってたのですが、ひっくり返したかったみたいです)

最初の写真のように、本当に田舎にある保育所なのでお散歩は季節季節で割と遠距離まで歩きますし、ハロウィン等のイベントになれば近隣の郵便局や公民館までみんなで歩き、お菓子をもらいにいきで、個人的にはとても素敵な環境で育ってくれたのではと思っています。(逆に交通量の多い道路に慣れていなさすぎて、引っ越した今になってヒヤヒヤしてます)

また、保育所の隣の小学校が廃校になっているため体育館が使い放題になっていて、そのおかげで運動会・発表会は雨天でも問題ないのはもちろん、日常的にも園庭が雨で使えなくても体育館で走り回れる状態になっていて、身体を動かしたりないということはなかったのではないかと思います。

f:id:dany1468:20220317104350j:plain

修了式が終わったら、早速駐車場にあるでかい石で遊び始める。コロナ禍になる前だとこんな風景が毎日夕方に見れたのですが、コロナ禍になりみんなすぐに帰らなければいけなくなったので(早く帰りたいお母さんたちはありがたかったと思いますが😅)、すっかりご無沙汰になっていました。
実際、コロナ禍前は、17 時頃に迎えに行った後、隣の小学校の校庭で1時間近く遊び続けることもあって、僕は結構それが好きでした。手術後は時短勤務をしていたので、17時に終業してすぐに迎えに行き、そのまま遊ぶ時間はよかったです。

一方で田舎あるあるですが、友達との家の距離が数キロあったりするので、なかなか一緒に遊ぶという機会が作りにくかったなというのはありました。

他にも思い出せばいくらでもあるのですが、何より大きな怪我もなく4年間を全うしてくれたことが嬉しいです。本当にお疲れ様でした。

f:id:dany1468:20210401085412j:plain

そして、春には桜が咲き乱れるこの素敵な園庭もさようなら!ありがとうございました!

小学校の入学

昨日が入学式でした。変わらず地方都市ではあるのですが、先月まで住んでいた田舎とはだいぶ異なります。

たった7人だったクラスも、次は 35 人が 2 クラスあり、娘は「少ないところが良かった」と漏らしている時もありましたが、それでも少ないところを選んでこうなったのでした。(当初考えていた地区の小学校は全校で 1000 人超える感じなのでさらに大きい)

f:id:dany1468:20220411080852j:plain

一方で上記の写真は通学路を歩いて行ったのですが、学校のすぐ近くにもかかわらずこの田園風景です。学校の目の前には JA があり、農産物産店まであります。
地方都市の小学校ではあるのですが、場所が市のかなり端の方なので、まだまだ住宅地も多くはなく昔からの農家の方が多いという感じの場所です。
なので、35人 2 クラスというのは、小学校の歴史の中でも最大規模らしく、住宅地が少しずつ増える中で、この学校に通う生徒も増えて行っているようです。

f:id:dany1468:20220411081815j:plain

小学校の歴史もまあまああるようで、校舎も時間の経過を感じる状態です。

入学式もコロナ禍でだいぶ簡素化されているようで、長いでお馴染みの式辞やお祝いの言葉等も、すごくあっさり終了。(PTA会長に至っては、生徒と保護者に「おめでとうございます」というだけで終了という空気の読み方)

校長先生が言うには、この人数が体育館に集まること自体、ここ二年では珍しく、集会等もビデオカンファレンスアプリでやっているとのこと。

娘の小学校へのお気持ち

本人は、引っ越しを伝え、保育所のメンバーと一緒の学校にいけないことを伝えた時もそれほど大きな反応はなく「いいんじゃない」みたいな感じでした。
一方で、時期によっては「一緒に行きたかったな」とこぼすこともあり、もしかするとそう言う気持ちもまだあるのかもしれません。ごめんね。

小学校というものにはあまりイメージは持っていないらしく、45 分を 5 回するんだよと伝えると「えーーーー!!」とか言ってますが、まだホントにそうだと思ってないんじゃないかな。。
個人的には、先生の言うことがとりあえず分かってくれる程度に日々の授業について行ってくれれば十分かなと思っていて、それよりもプールなり体操なりに行ってる方で楽しんで身体を動かすことを継続してくれればと思っている感じです。(多分、僕が今体力不足とかになってるからだと思う。)

今日初めての授業を受けてくるはずなので、感想がとても楽しみです。

これからの6年間に向けて

正直言うと、小学生になれば手離れして子育て優先からまた仕事の方にウェイトを変えていけるかと思っていたりしました。
ただ、いざその時を迎えてみると、ここからが本番か?と思うようになってきました。

子供の成長に伴う悩みや課題が増える分だけ、親としても一緒に向き合っていくには、ここで手離れという感じではないんだろうなと思うと同時に、今までもでしたが、子供と一緒に、子供に引っ張られながら自分もやりたいことや、やれることを増やしていきたいと思っています。

自分がそう言われるのが苦手だったので、「勉強しろ・練習しろ」というのは無理だと思いますが、一緒に同じことを学ぶことはできると思いますし、そのためには一緒に横にいる時間や、一緒に行動する時間を維持していければなと思います。

6年間頑張っていきましょう🚀