チャットツール Remotty と過ごした 1 年間。Remotty は自分にとってどういう存在であったか。
限界集落で 2 年間リモートワークをしていたプログラマが 4 ヶ月間東京で働いてみて感じたこと - dunno logs
上記の記事を書いてから 1 年ぐらい経ちますが、Remotty を使い始めて 1 年と少し経つので振り返りを書いておきます。
Remotty とは何の関係もありませんが、ベータの機能を使わせていただいたりもしましたし、単なるツール以上の好意があるので、ステマっぽい記事になるかもしれない。。
現在の私とチームと Remotty の位置付け
私は 10 人ぐらいの開発チームの 1 メンバーとして働いていますが、その中で唯一東京の本社には出社せず、地方拠点で働いています。タイムゾーンは当然同じですし、普通に地方拠点に出勤しているので勤務時間も東京本社と全く変わりません。
一方で Remotty には、私のチーム以外にも、同じ部門のインフラや R&D チームのメンバーも一部参加しており、逆に私のチーム内でも参加していない人もいるので、だいたい平均して 10 数名ぐらいがログインしているという状況です。(一人例外で社内のコーチが入っています、が特にコーチングのためとかではなく、以前同じ部門で働いていたころの名残。)
また、R&D チームは半数が地方拠点勤務のため、私自身のチームとしては一人だけのリモートメンバーですが、Remotty 参加メンバーで見ると1, 2 割ぐらいはリモートメンバーということになります。(加えて、最近は週一ぐらいで在宅勤務する人もいるので、そういう日はリモート割合が増える。)
チャットツールに全員参加してなくていいの?
社内では全社的には Workplace by Facebook が中心に据えられており、それにプラスして各部門やチームがコミュニケーションツールを使い分けるという状況です。
開発系の部門は Slack を使っていますが、それも結果全部門が Slack になっただけであり部門毎に個別の organization で運用しており、そこに交流はありません 😢(部門ごとで経費計上とかしてるので、勝手に他部門に有料のアカウントなんか作れない。けど、代わりに誰でも入れる無料版の Slack の organization があって、そこで交流してます。)
もちろん私も部門やチームも Slack です。
Slack と Remotty を併用してるってこと?
とういことになります。
- Slack
- マネージャーや企画チームメンバーなどなど部門の多くの人が参加
- Github や Qiita などの更新、日々の運用に関する多種多様な通知が流れてくる
- アラートやエラーログの通知なども流れてくるため、基本的に会話よりも圧倒的に通知の量が多い
- Remotty
- リーダー級は入っているが、マネージャーはいない
- なんとなく開発系の人を招待してる
- 通知は一切流していない。会話のみ。
チャットツールの併用は何かすごいムダ感があるように感じられそうですが、実際やっている身としては全く役割の違うツールという使い方なのでそんなに気にならないです。
自分にとって Remotty は何であったか?
なんというか、「 良くも悪くもオフィスの空気感を醸成するもの」だったなと思います。
先日、ふと思い立って 2 日程 Remotty を立ち上げずに仕事をしてみたのですが、「とても集中できる時間が長かったな」と思う反面、いいようの無い寂しさというか、物足りなさを感じました。「あれ、俺何してるんだっけ」と足元がふらつくような大げさに言うとそんな感じ。
もちろん、アラート等は Slack に来ますし、業務的な質問も Slack で飛び交っているのでなんらか本社での活動があることは Slack を通して分かるは分かります。
別に Remotty にログインしていても、雑談を一日中してるわけではなく、一日雑談をしない日だってあるし、忙しい時はぼそぼそと呟くことを忘れてしまうこともあります。なので、「コミュニケーションを取りたい!」とかそういう欲求ではないのだろうなと。
欲しかったのは空気感
Remotty の紹介ページにイメージも載ってますが、Remotty にはタイムライン領域が最初から用意されています。Slack でも「分報・times」みたいな個々人のチャンネルを一つのチャンネルにまとめて流すようなことをするケースがあると思いますが、Remotty は最初から自分の分報(パーソナル)エリアと、それらをまとめたタイムラインの機能のみが前面に出てきます。
このタイムラインが前面に出てるというのがすごく大事で、Remotty を開いた時に「ふっと」目に入るというのが重要です。(Slack で専用のチャンネルを開くのとは異なるという意味)
紹介ページの言葉をそのまま借りると「みんなの会話が見える!オフィスの雰囲気が伝わってくる」なわけですよね。
オフィスの雰囲気?
これは利用用途にもよると思うんですが、私の場合はオフィスの雰囲気という表現では半分ぐらいだなという気がしています。
Slack の分報とかでも同じだと思いますが、結構チャットになると「独り言」や「考え事・悩み事」をドバドバ書く人がいたりします。一方で、普通はそういうことを言ったり書いたりしない人もいて、そういう人は Remotty にログインしていても静かにしてる(でもそういう人が、ふっと書き込む事は大事だったりする)。
そういうなんか「オフィスに居る以上に感じられること」みたいのがあるなと。なんだろ、無口っぽい人がチャットだとたくさん発言するのも面白いけど、無口な人が、チャットでもそのまま無口っていうのも、なんかそれはそれでありだなって思うんですよ。でも、ちゃんとログインはしてくれてて、話しかけると返してくれる。実際、うちの Remotty 運用は完全に参加任意なので、ログインしなくても全然困らないのに、ちゃんと入ってくれている。なんかそういうのが地味に嬉しいんですよね。
雑な雑談所
加えて、たぶんマネージャーが参加してなかったり、一部雑談好きなメンバーなんかがいることで、「会社裏の喫煙所」みたいなちょっと下世話な雰囲気が漂うことがあるのも面白かったりします。私は喫煙者ではないので、喫煙所の状況とか知らないのですが、何か面白い話しがあるのって喫煙所か飲み会だったりするじゃないですか。(これも会社の文化によると思いますが)
当然地方拠点にいると飲み会なんてめったに一緒にはいけないので、そういうちょっとだけ愚痴っぽい話しやホントどうでもいい噂話(結婚するらしいよとか)を聞けるのって、実はすごい嬉しい。
で何であったか?
元37signals の本とかでも、リモートの寂しさみたいのは逃れられなくて、ローカルのコミュニティや家族との時間を大事にしようみたいな事が書かれていたような気がします。それはすごいその通りだと思う一方で、「その寂しさは本当に我慢しなければいけないことなのかな?」と疑問を呈してみたくもなります。
もちろん、人が感じる寂しさはそれぞれだと思うので、それがチャットツール一つで解決できるとは思いませんし、たぶん私の Remotty グループに所属するメンバーが偶然そういう場を作ってくれただけだとは思いますが、なんらか「チームの人がそこにいるな」という感覚をもたらしてくれる存在であったなと思います。
「リモートは辛い・厳しい」みたいな話しもあるとは思います。「成果でしか評価されないから逆に厳しい」「情報は自分から取りに行かないとやっていけない」etc 、、確かにそういう側面があることは否定しませんが、それもある意味組織の問題が露呈しているだけだと思います。
どうして社内に居るとそうではなくて、リモートになるとそうなるのか。何かおかしいですよね。評価にしろ、情報共有にしろ、日々のチームビルディングにしろ、きっと何か足りない部分があるからリモートメンバーががんばらないといけない事になってしまう。
けど、Remotty がくれる雰囲気を感じていると「決してリモートが特殊という訳ではない」というのを思わずにはいられません。が、これはたぶん SonicGarden さんの記事とかの影響ですね、はい。
もちろん弊害もある
これは、オフィスに居ても同じですが、やはり聞きたくないような話しも飛び込んできてしまうことはあります。それでモヤモヤしたり、悩んだりというのもありますが、まあ、そういう時はタブを閉じればいいので、良いのではないでしょうか。
同僚がタブを閉じるまでやらなくても、「この人のルームでの会話を一時的に遠ざける」みたいな機能があるといいと言っていて、単純にミュートするとは違い、オフィスにいて座席を移動して声を聞こえなくようにするみたいな感覚があるといいと言っていたのが面白いなと思いました。
デジタルオフィスをうたっているとはいえ、現実のオフィスのメタファーを入れすぎるのもどうかという気もしますが、そういう観点で新機能が増えたりすると面白いだろうなぁと思います。
Remotty 一本でいこうと思うか?
個人的には思わないです。私達が使う Remotty ルームに情報共有のための記事や、プロジェクトの進捗・議事録、はたまた通知系まで入ってくると、せっかくの喫煙所やコーヒー自販機の前のような雑多な雰囲気が失われてしまうなと思うからです。
んー、なんかデジタルオフィスじゃなくて、デジタル喫煙所にしたいのか僕は。。
番外編: Remotty プチ活用
やることリスト
私がオフィスで仕事してた時は Redmine とか Pivotal Tracker とかでタスクやストーリーの管理もしてたのですが、立場的に並行してやることも多くて、小さいホワイトボードを机の横において、そこにタスクリストを書いたりしてました。
そういうのって、机の付近を通る人にも見えるので、ちょっとしたアピールになるんですよね。
「今忙しいからこれ以上仕事頼むな」「マネージャーさん、もう私はいっぱいいっぱいです」「誰かやってくれてもいいんだぜ」などなど。まあ、今となってはちゃんとチームでやれって話しでしかなくて、今は週次で計画とかもしてるので、そういうタスクオーバーフロー系はなくなったんですが、業務と並行してやりたい改善系とかの課外活動系が増えたりして、そういうのを Remotty に投稿してアピールしようという作戦をやってます。
背景を娘の写真にしてるので、ちょっと目付近だけ映ってて怖いですが、、こんな感じで定期的に一日数回自動で投稿するようにしています。
「メール連携」と書かれているのですが、Slack の Incoming Web hook 的なものがメール連携機能用のトークンで実現できたので、それを使っています。(ビジネスプランとかにすると使えるのかな)
「メール連携」のトークンを使うとタイムラインには表示されず、自分のルームにだけ表示されるので、「オフィスで自分の机の近くに来る」と同じく「自分のルームを訪れた人」だけがそれが目に入るみたいな事ができます。
内容はすごい単純で、Trello の特定のリストの内容をそれっぽく整形して投稿してるだけです。Mac OSX の launchd の練習がてら書いただけなので、自分の Mac が上がってる時しか投稿されないのですが、まあ仕事してる時に投稿されればいいので良いかなと。
まあ、実際にはアピールというよりも自分のやりたいことリマインダー兼、進捗させるための推進用でしかない。
Remoppy (remotty bot)
ビジネスプラン用と同じなのか分からないですが、Remotty の Web API をベータテスターとして使わせていただく機会があり、たまに触っていたのですが、結局昨年は子育てに追われ(今も継続中ですが)何も形にできていませんしたが、最近娘が寝た後の少しの時間をちょこちょこ使いようやく動かせるものができてきました。
websocket を喋れることは上記のリポジトリで分かっていたので、Slack のボットフレームワークのメッセージのやり取り部分だけ書き換えればいいだろうと思い、お気に入りの Ruby 製の Slack bot framework の Slappy をクローンする形で作成しました。
README にあるサンプルを実行すると以下のような形で bot が反応します。(一応 bot らしく特別なアカウントを作ってそのトークンで運用していますが、自分のトークンを使っても動作するはず。ただ、逆に Slack のように bot 用の integration を追加とかはできないので、bot 用のアカウントを作った方が無難かもしれない。)
まだ Slappy の機能の一部しか移行できていないので、徐々にやっていきたいところですが、Remotty 的に bot の運用を認めているか不明なので、もしかしたら駄目なのかもしれない。。
バーチャルオフィスにとって bot とは何なのか?
世の中だと、「パーソナルアシスタント」とか呼ばれる部類の bot もあるみたいですが、無理やりオフィスの文脈に当てはめると、「秘書」とか「執事(Jenkins 的な)」みたいな感じなのかなぁと想像します。
bot の便利さは開発面では Chatops 等でも実感できているところですが、そういう「なんとなく自動化できるって分かる」分野以外の、それこそ個人にフォーカスした部分ってあんまり考えたことないんですよね。Google の Allo をインストールしてみたものの、bot の機能は天気予報ぐらいしか使ってないし。。
まあ、いくらでも事例はあるんだろうけど、バーチャルデジタル喫煙所にいる bot ってどんなのか考えてみるのも面白いかもしれないなぁと。
最後に
地方拠点で働きだして 3 年が過ぎて良くも悪くも慣れてきたという部分はあります。
リモートが厳しいと感じていた緊張感はほぐれてきて、良い意味で肩の力は抜けてきましたが、逆に集中できていない時間があるなと気を引き締めなければいけないタイミングも出てきたりします。
一方で、拠点の環境は毎年良くなっており、本社の会議のストリーミング等の環境や、ネットワーク、VPN、ファイルの共有方法等は 3 年前に比べると劇的に改善しました。
チームとしては入退社もあるので多少のメンバーチェンジはありつつも、馴染みのチームになってきているなと感じます。心理的安全性みたいな点で言えば、私個人というよりもチーム全体としては、まだ全員が発言できるような状況にまではなっていないかなという気もします。こういうのはスピーカー越しに聞いている人間の方がよく分かるのかもしれません。
ただ、当初はスモールチームだったのが、人数も倍近くになっているので、これまで以上に Pull Request や共有用の資料作成には気を使い時間を使うようになってきたのは事実です。
一方で、対面でわざわざ話さなければいけない程困るという事もない規模は維持されているので、逆に出張の機会は相変わらず一定せず、先月に半年以上ぶりぐらいに業務都合での出張をしました。(社内の全社会議等の参加のために行くとかはありましたが)
ちょうど四半期の切り替え時期で振り返りや次の期の計画等をやれたので、そういうのは対面でなくてもいいけど、対面の方がやりやすい面があるなと再確認しました。
最近でもリモートワークの是非的な事はいろんな会社の事例も含め話されているように見えますが、個人的にはオフィスでみんなでワイガヤしながらやるのも楽しい思い出なので「リモートでないと駄目」とかいうつもりもありません。今でもたまにそっちをやってみたくなるときがあります。
ただ、仮に次に転職をするならば、自分がリモートをやるかどうかは別にしてリモートをきちんと認めて運用できている会社がいいなと思います。たぶんそれだけで認めている多様性が多いと思うのですよね。声が大きいだけではない、アピールが得意なだけではない、何かが苦手でも何かが得意である、何かそういうオフィスにいるだけだと評価や認知されにくいものが、リモートがある環境には少なからず存在している気がします。(もちろん評価に関しては、評価者がどういう人かってのに激しく左右はされますが。)
ただ、個人的にそう思うのでした。
5回目の結婚記念日でした
木婚式っていうんですかね?ホントに?とか思いつつも、5 年は何か節目だしというので写真は記念のリング。
娘の名前にちなんで錫(すず)製のものを選んでみた。自分でいろいろ調整できて面白い。錆びにくくて柔らかい金属らしい、娘の名前と重ねて何か嬉しくなった。
振り返り
やはり初めて子供と過ごした1年間ということで、話題は娘のことに集中した気がする。日常的な事は出来る限りサポートできているつもりになっていても、一つ将来の事を考えるのはどうしても妻に任せきりになってしまっていて、何かモヤモヤしていないかなと気になっていたけれど、まずは週次で話す場を設けてみようということで進められそう。
昼間の娘を見てくれているのは妻なので、習い事に連れて行ってあげるにしても妻にお願いするしかないので、妻に無理がなく意向通りであれば良いと思っている。自分としては、夫婦揃って出不精なところがあるので、娘には「とりあえずやってみる」的な素養を身に着けて欲しいなと思っていたりする。(あくまで希望)
妻の今後について
妻には田舎に一緒にきてもらって、しかも今は子育てに集中してもらって日々(特に体力面で)負担をかけてしまっているが、多分来年には保育園に通わせる事になるだろうし、個人的にも妻が今後何をやっていくかを気にしている。
子供の人生も大事だけれど、妻の人生もそれと同じように大事だ。田舎で暮らしている事もあり、共働きをして稼がなければという事は無いけれど、何か愉快な事をしてくれればなと思っている。
(でもそれは自分も同じで、何か愉快なことができるようになりたいなと思ってはいる。)
そんな中、妻がたぶん初めて「ちょっとやってみようと思っていることがある」と話してくれたことは、僕では絶対に思いつかなくて、とても意義のある事で、それを聞かせてくれて嬉しかった。
ついつい、「じゃあ、それをすぐ始めるにはどうしようか!」と前のめりになってしまったが、まだ子育てが大変な時期も続くので、妻のペースでゆっくりやってくれればいいと固く自重することを誓った。
田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」を読んで
本社に出張に行った時にたまたま会社の横の書店で手にとった本。ただのタイトル買いだったのだけど、個人的にとても良かった。
最初に書いておくと、たぶんこの本の考え方は気にいる人もいれば気に入らない人もいるような内容で、どっちがいいとかではなく、考え方とか生き方の話しだと思います。
なので、私が気に入ったのも、単に「最近の」自分の悩みや考えにフィットしたからでしかなくて来年同じように読んでどう感じるか分からないです。
田舎に住んでいて感じるモノの価値のギャップ
田舎に住んでいると当然ながら農家の人も近くにいるし、道の駅に行くと朝から野菜を運んでいるのを見かけます。実際自分でも家庭菜園レベルでも作ってみるとその大変さがみにしみてわかります。
その一方でその野菜の値段は本当に安くて、もちろんプロが手慣れた方法で作れば効率もいいんでしょうが、それでも安すぎないかみたいな値段で売られるわけです。
また、自宅前にある小さなお店では道の駅等で売る和菓子(お餅やお団子、お赤飯など)を作っているのですが、たくさん入っていても 300 円台だったりします。
近所の食堂にいけば、家族3人で行って 3,4 皿おかずを取っても 1200 円あればお釣りがくるような値段です。(娘は 1 歳なので実質二人分ですが)
そんな中、私のようなサラリーマンプログラマが週に5日働くだけで、数十万という給与をいただいています。「週に2日も休み有るんか、ええなー」と前のおじさんに言われる事がありますが、何か申し訳ない気持ちになったりもするのです。
もちろんこの本の話で言えば、給与の中にはここまでに蓄積して来た技術への対価であったり、さらにそれを磨くためのお金も入っていると考えることもできます。たまたま今の世の中がプログラマという職が昔のパン職人のように特別な技術で、正当に評価されていると考えることもできます。
ただ、どこかでモヤモヤしたものがずっとありました。本当に僕は社会にとって正当な報酬を得ているのか、真っ当な仕事をしているのか。農家・和菓子屋・食堂の人たちと比べて自分の仕事は地域・社会にとってどうなのか。
小さくても本当のことがしたい
このフレーズは結構衝撃で、自分の中で騙し騙し正当化していたものの一部が崩された気持ちになりました。
私自身はあるウェブサービスの開発に携わっていますが、ずっとそれが本当に人の役に立っているのか納得が仕切れていませんでした。ただ、お客様は喜んでくれているし、売れるということは役に立つものを作っているのだと考えるようにしていました。けれどそこに「本当のこと」というフレーズが来ると、、、、、、違うのではと考えてしまう。
もちろん全てのウェブサービスが本当の意味では不要だとかいうつもりはありません。この本の中でも現代において小商いが可能なのはそういうITの発達の恩恵もあると書いてあります。私自身多様なITに助けられて生きています。(早く自動運転カー来い!)
食品も同じですが、どこまでが贅沢なものでどこまでがそうでないという線引きを個人の中でやったとき、私としては自分がやっている仕事は単に贅沢なものではないかと感じたというだけです。なので、実際お客様で本当に助かっているという方もいるはずなので、私が自身の携わるサービスを否定するつもりもありません。実際誇りを持って作って来ましたし、「じゃあどういう IT サービスなら贅沢じゃないの?」と問われても答えを持ち合わせていないです。。
「本当のこと」、、、難しい。。これも個人の生き方の話でしかないので、私は IT の世界で未来に突き進む人たちもカッコいいと思いますし憧れます。ただ、私の今のコンテキストにおいてそうは思えないというだけです。
腐る経済について
こういう資本主義がどうこうとか、利潤を作らないとか、自然に根ざした生活とかいう話になると、どうしても現実感がないですし、理想論でしょとか、あなただけの話とか、現実解を示せとか否定的な論調が先行しそうな気がします。また、賛同していても内心は「私の話ではない」と思う人もいると思います。実際私も自分への現実感はあまり無いです。
まず、IT業界に身を置く人間としては自分の仕事がどうすれば腐る経済のようなものに貢献できるかわからないし、いきなり衣食住の業界に転身という訳にもいかないです。簡単に言えば「生産する側に回る」方法が分からない。
東のエデンで「金をもらう練習」みたいな話しがあったけど、きっとそういう練習をしてこなかったからだなぁと思ったりします。
プログラマだって、ある意味生産手段である可能性はあって、きちんとそれを役立てて、対価をもらう方法があれば生産する側にいけるかもしれないですよね。でも、うーーーん、すぐに行動に移せるかといわれると変わらずサラリーマンを続けるのかもしれません。
ただ、この著者の人もようはそういうことを皆が考えるようになればいいなという事を言っているだけであって、皆が生産者になったり小商いをすることが一番正しいと言っている訳でもないんだと思います。
今の自分に何ができる?
例えば今の僕は運が良くて、そういう「良いと思うものを作ろう」としてる人も周りにいるのだから、そういう生産者の人からものを買うようにすれば、それは一つ貢献だし、「安いからこれでいいよね」「別に僕が買わなくても誰かが買うよね」じゃなくて、自分が少しでも支えていく、使っていくという気持ちを持つことも一つの貢献なのだろうと思ったりします。
それこそ「地産地消」なんてキーワードは意図がよくわからなくてあまり好きではなかったけれど、今はだいぶ良い言葉だと思えるように鳴った気がします。
もちろんいずれ自分も何か自分として「小さくてもいいから本当のもの」と思える事ができるようになれればと思います。
余談: オーガニック、有機野菜とか
個人的にはオーガニックとか有機野菜とかにはあんまり興味がありません。こういうワードを持ち出すと、だいたい両極端の意見しか出てこなくて、ポジショントークな気がするので話し半分でしか聞かない事にしています。「自然の力がみなぎっている」も本当なのかもしれないし、「天然毒素がぁ」も本当なのかもしれないですが、選択するのは自分でしかないです。
一方で、田舎で住んでて思うのは「鮮度こそがすべて」だったりします。気のせいかもしれないですが、やはり採れたてのとうもろこしを生でかじるのは最高だし、その場で作っている人(別に生産者とかじゃなく、単に趣味でやってる人)が抜いてくださる野菜は美味しいと感じます。
東京から数週間こちらに滞在してた同僚が言ってましたが、「田舎の食堂とか美味しいの当たり前ですよ。食材もそうだけど、バイトが作ってるんじゃなくて料理人が作ってるじゃん」これも、もちろん都会でもお金をそれなりに出せばプロが作ったものは食べられるし、田舎の食堂全部に当てはまるわけじゃないですが、妙に説得力がありました。(まあ、自分の地域が恵まれてるだけな気もします)
社会を変えるということ
この著者の方がやっていることは、「自分が資本主義の枠組みの中から出る」というのがもともとの目的で、文中では「革命」みたいな単語もみかけたりするけど、別に誰かを扇動して何かを為すとかではなく、自分がやっていることの輪が広がればいいぐらいの願いなのだと思います。
社会のことは「一人がやっても意味がない」「全員がやらないと意味がない」なんなら政治がやらないと意味がないと考えてしまいがちだと思います。僕自身そう思っていた一人です。
以前 Rebuild.fm で、「facebook, google の方針に賛同できないからそのサービスは使わない」という話しをゲストの方がしていました。すごく驚きでした。最初にそれを聞いた時、「そんな自分だけ不便になったところで、何が変わるんだろう」と思ってしまいました。
でも社会を変えて行くというのは小さな一歩の積み重ねなんだろうと最近考えるようになりました。(自分がそういう活動をすることに無知すぎただけかもしれません)
ダウン症を受け入れられる社会
先日ダウン症のお子さんを持つお母さんが主催する、子供向けの英語リトミック教室に行って来ました。 行く前の印象は、「ダウン症のお子さんを持つというのは大変なのだろう。例えばどういう支援が求められているんだろうか。」のようなものでした。困っているだろうな、助けてあげられるかな、みたいないかにも上から目線というか我ながら恥ずかしいです。。
実際行ってみるとダウン症のお子さんも 3 名参加されていて、私も娘もダウン症の子達も一緒に遊んで、子どもたち(だいたい 1,2,3 歳)は特に分け隔てなく遊んでいて、たぶんその時頭に「?」マークが付いていたのは自分だけだったのではと思います。
たぶん、私自身は小学生の頃も障害者の同級生は別の特別な学級に分けられていて、あまり交流もなく、「何か特別な人たちが居た」という印象のまま大きくなっていました。
一方で、今回のような教室で日常的に同年代のダウン症の子達に触れ合っている子どもたちは、少なくとも今の段階ではそこに変な感情を持つことが無い。もちろん、大きくなるにつれて何か起こるかもしれない、けれど、今、彼彼女らにはそういう下地ができているのは確かなのだなと。
お母さんたちとたくさん会話はできなかったのですが、なんとなく「この人達は具体的な支援を欲しているんではなくて、自分の子供達が自然に受け入れられる社会に変えていこうとしているんだな」と感じました。
もちろんそこに当日集まった親子は10組にも満たないです。けれど、私の娘はもちろん、私達親世代もこれまで抱いていた小さな偏見を取り去ることができましたし、その日は食事をしながらそういう事を話す事ができました。
きっと小さな変化なのだろうけど、社会はそうやって変えて行くこともできるのだなと思いました。実際私は少しですがそのイベントを通して考えを変えられた訳ですし。
発酵とキリスト
急に話題は代わりますが、聖☆おにいさんを読んでいて、「なんでキリストは石をパンに変えるのか?水をワインに変えるのか?」って疑問だったんですよね。パンとかワインって現代の食べ物みたいなイメージがあったんですが、それがそもそも間違っててどちらもすごく昔からあって、 そういう「発酵」という現象が古代の人にとって神聖視された結果パンやワインがキリストに紐付けて語られるようなものになった (のかどうか正しいのか分かりませんが)というのを知って、すごくびっくり納得。
id:kasuga-2-19-1-100110 さんに教えてもらいましたが、私の書き方は実際と異なっているようなので打ち消し線引きました>< ありがとうございました!
なんか「発酵食」とか「食品業界の新しい押し売りワードかー」とか思って時期もありましたけど、この本読んで発酵に対してはすごく素晴らしいものという意識に変わりました。ビール最高。
育てるではなく、育つ環境を作る
野菜を育てるのに土づくりが大事。ちょっとだけ家庭菜園しただけの私でも数年やっていればなんとなく分かってくることです。(実際すごくまわりから言われるし)
この本には、それを経済や人に対しても当てはめているのが面白いなと感じました。特に人に対しては興味深くて、「育てる」という意識があったから育成に失敗したというもので、大事なのは「育つ」環境を用意してあげることだというものです。
「ベンチャー」みたいな会社にいると、新卒も下手をすると「入社したら自分の力で泳げ」になってしまうことがあります。そういうのに適応力が高い人は(おそらく無理をしながら)吸収し育っていくのですが、そういうペースで成長するのではない人は脱落しかけてしまう事もあります。「環境が人を作る」的なことは実際事実だとは思うものの、それを当人の努力(ありていに言えば残業)でカバーするのに期待してしまうのは、個人的に「うーーーん」という気持ちがありました。
この著者の人が結果として「徒弟制度がいいのでは」というのも面白くて、「アプレンティスシップ・パターン」を思い出したりしました。
こういうのは人事的な事なのかもしれないですが、自分自身も「成長目標」を毎期定めて評価されている身なので、会社として「エンジニアが育つ環境作り」というのはどういうものか考えてみるのも面白いなと思いました。(まあ、そこに「腐る経済」の話しを入れてしまうと、最後は円満離職してしまんでしょうけど
地元の子供向けプログラミング教室にメンターとして参加してきた
昨年参加した、地元の小学生プログラミング教室にメンターとして参加してきた は、地元の小学校の教室でその小学校の生徒を対象に行いましたが、今回は一般に向けて参加を募集し 親子でも参加が可能 という形態で実施されました。
イベントについて
えべっさんをプログラミングして動かそう!体験教室参加者募集! | ダンクソフト
元々は 1/15 に実施予定だったのですが、雪と風の影響で延期になり 2/26 に実施されたという運びです。
私自身は1月は年末からずっと仕事がしんどい時期で参加は見合わせていたのでした。延期と延期によってメンターさんの都合が合わない人がでたことで参加できることになりました。
今回は前回のように取材のカメラや視察の人がいることもなく、より普通のプログラミング教室らしい感じだったように思います。(やはりスーツの人が沢山いたり、カメラが居たら子供さん達も落ち着かないでしょうし。。)
利用したロボットや授業のカリキュラムは前回とだいたい同じで、今回は時間も長かったので後半はグループワーク的にチーム分けして複数のロボットを合わせて何かやるみたいな事をしました。
2回目だったからより順調だった?
今回はロボットもロボットにさせる動作セット用のプログラムの仕上がっている状態だったので、集まったのも前日のみでした。(前回と異なるメンターさんが二人いましたが、彼らは1月に別途研修を受けていた)
役割分担や、後半のグループワークをどうするかの打ち合わせをしたぐらいで、なんとなく「大丈夫だろう」的な雰囲気が漂っていたように思います。
実際、前回はメンター3人に対して生徒が 12 人だったのに対して、今回はメンター4人に対して生徒さんが8人(しかも内3人は父兄)という構成だったというのもあり、個人的にもだいぶ気が楽になっていました。
当日は大慌て
当日集合時間に行ってみると、生徒さんの座席に PC とロボットをセットアップしている最中でそれを手伝いつつ動作確認をしていたのですが、「このロボット動かない 😨」という声がちらほら。。
それがどうやら 1 台、2 台ではなく、ほとんどが動作しないという自体に。。ただ、主催の人としても「前回からはほぼ何もいじっていないはずなのに。。」と困惑気味 😵
結局、前回実施時にサンプル的に作っていた Scratch のプロジェクトだとロボットと上手く接続できるということが分かり、急遽その設定で立ち上げていきました。
ただ、2つあるサーボのうち片方が動作しなかったり、ロボットが持っている釣り竿の紐が無いマシンがあったりと、前回よりも準備にバタバタしてしまい、結局 20 分遅れぐらいでのスタートになりました 💦
その間は女性のメンターの方が事前の説明という体で場を繋いでいてくれたのが本当に助かりました。加えて、前回の教室でもメンターをしていた20 代前半のエンジニアの方が動くデバッグしながら動作する Scratch ファイルを探してくれて窮地を救ってくれました。本当にすごい 🎉
授業の様子はどうだった?
今回は親子での参加ということでしたが、座席はあえて親子を引き離し、子供は子供と、親は他の親と話して進めるような分け方をしました。確かにただプログラミングを学ぶというよりは、狙いとしてはプログラミングという手段で何かをすることなので、コミュニケーションを取る相手は同世代の方が良さそうに思いました。
一方で、年齢が 8 歳から 11 歳ということで、8 歳は Scratch は通常ギリギリの年齢らしく 11 歳の子からすると物足りない側面もあるのかなという風にも見えました。
女の子勢は音を出すのに夢中
子供さん 5 名のうち女の子が 2 人いて、たまたま私はその近くにいたので見ていたのですが、ロボットを動かすフェーズでは「うん、うん、うーーん」とやってはいるんだけど、あまり集中できてないなぁという感じだった女の子が、Scratch に声を吹き込むところで 「これ、楽器が鳴らせるよ!」 と急に授業に関係ないところに食いつきだしました。授業としては、自由に動かしていいフェーズに来ていたので、特にそれを制止せず、逆に「へー、この拍って何?おじさん分からないんだけど」と聞いたりすると、「これを押したら、速く楽器を鳴らせるんじゃない?」とどんどんいろんなブロックを並べだして、いろいろと試して音階を作り始め、彼女作の曲を作ってしまいました。(もしかしたら既成の曲なのかもですが)
しかも休憩時間中もずーーっと PC の前で作り続けていて、 「これがゾーンに入った人間の力なのか」 と日頃集中力の保てない大人からすると羨ましい集中度合いで作業していました。
こういう、授業の主旨からはずれつつも何か興味持ってやってくれるのは嬉しい瞬間です。
もう一人の女の子もやはり曲を作っていて、「やっぱりコンテンツは一つというよりは、複数あった方が興味のフックがたくさんあっていいのかなぁ」などと思ったりしました。
グループワークはメンターも入ってワイワイと
グループワークは、子供 3 人、子供 2 人、大人 3 人の3チームに、それぞれメンターが付くという形で進めました。グループワークのお題としては「チームで複数台のロボットがあるので、それで数十秒から数分の作品を自由に作る」というもので、漫才やミュージカルなどを例として上げていましたが、基本自由という感じ。
私は大人チームを担当
私は流れで大人チームを担当することになったのですが、大人は自分の子供の事は気になるし、大人同士気を使ったりで、全然テーマが決まらない。結局は一人のお父さんが、子供に負けじと「チューリップ」の曲を書き上げていたので、それをベースにバンド的なことをロボットにやらせますかぁという感じに。
30 分時間はあったものの、大人チーム全然進まないーーーと思っていたら、一人のお父さんが、チューリップを別アレンジして速弾きしたみたいにした結果、謎のチューリップが流れる中、3台のロボットが狂ったようにヘッドバンキングをし続けるという作品になったのですが、結構好評で良かったです。後半の大人チームの集中力はさすが大人という感じでした。
子供チームは漫才と劇?
子供2人チームは、男の子同士ということもあってか、漫才をやっていました。吹き込んだセリフベースではあるものの、ツッコミのタイミング等がうまく2台のロボットでシンクロできていてとても良かった。
子供3人チームは女の子が二人いたせいか、3台で劇のようなものをやろうとして・・・・・・仕上がらなかった、みたいな感じでしたが、セリフに加えて自作の BGM を鳴らすという面白いことをやっていて、すごいなぁと。
主催の人は「プログラミング教室やってて、ロマンチックって言葉が聞けただけで涙がでそう」と言っていたのですが、女の子の感性にかかるとエビスロボであってもロマンチックなストーリーを描こうとしてしまうものなのだなぁと。
女の子チームの様子
自分の子供の番になると、大人チームは撮影タイム
2回目も参加してみてどうだったか?
まず最初に、こうやって日頃はお仕事にしか使えないスキルをこうやって小学生の教育という事に使えることに嬉しさを改めて感じました。
特に今回は、なんらか興味を持って自主的に来てくれた方々だったというのもあり、前回以上にリラックスして参加できたように思います。(やはり、興味が全くないような子に何かを教えるというのは難しそう。。そういうのが上手な先生ってどうやってるんだろう。)
一方で、子供との接し方は微妙な難しさを感じていて、子供は好きな方だと思うけれど、感情表現も素直なので、「うわー、つまんなさそう」というのがダイレクトに伝わってきたりすると辛くなる。。やっぱり遊ぶようにやるっていうのはすごく大事だなぁというのは、子供にとってもそうなんだろうけど、相手をしている大人の精神衛生上もそうなんじゃないかなと思ったりしました。
一旦今回のプログラミング教室コンテンツはお終いらしいのだけど、また次回形を変えてあったときには参加できたらいいなぁと思いました。
いつか自分の子供にもプログラミングを教える日が来たりするんだろうか、そんなことを休み時間に一緒に PC に向かう親子の姿を眺めながらぼんやり思ったのでした。
異世界落語を読んだら、少し落語に興味がわいた
完全にタイトル買いだったのだけど、一巻読んだら面白くて、すぐに二巻も買って読み終えた。
落語心中
今まさにアニメの第二期やってるけど、妻が何年も前に買ってきた落語心中のコミックスが落語に触れた(といっていいかも分からないけど)最初だったと思う。
まあ、漫画なので、落語の部分なんてほとんど流し読みだし、実際どんな風に喋ってるのかも分かんない。でも漫画の落語心中は結構好きだったのでそのまま二人でコミックスは集め続けてた。
で、アニメの第一期が始まって、最初は見てなかったんだけど、ちょっと時間ができて一気見したらやっぱり面白くて、しかもアニメなのでなんとなく落語自体が何を言ってるのかも分かる時があった。
でも、特段落語に興味は沸かなかった。あくまで落語心中という作品が好きだったというだけ。
町内の落語好き
僕は田舎の町に住んでるんだけど、仲良くさせてもらってる夫婦(奥様は僕と同い年)が二人共落語が好きらしく、よく聞いてるし、見に行ったりしてるみたいだし、さらには落語家さんを町に呼んで実際にイベントを開いたりもしてた。
他にも何人か落語好きの人はいるみたいで、なぜか田舎町なのに落語のイベントが年に数回ある。(田舎はそんなもんなのかもしれないけど)
子供も居るし、タイミングも合わなかったで結局一度も聞きに行ってはいけてないんだけど、まあたぶん「すごく聴きたい!」という気持ちもなかったんだと思う。(ホントに聞きたければ、子供だって親に預ければいいんだし)
その他
実家とかに居ると、NHK率が高かったりするので、落語を題材にした番組とかあって、そこで「元犬」とかの実写版?をお笑い芸人さんとかがやってたりして、それは面白いなぁと思ってみてた。
で、異世界落語
たぶん、一般人でも分かるようなネタを選んでるんだと思うけど、収録されてる作品は結構知ってるやつばかりで、それがファンタジーの世界の中でアレンジされるという設定で、そこについでのように世界の危機という設定もついてきて、よくわかんないけど面白い。
なにが自分の中でそんなに良かったんだろうなぁ、どうして同じ題材なのにこれまで落語に興味持てなかったのかなぁと思ったけど、結局、「どういう人」がやってるかなのかなぁと思ったりした。
当然異世界落語の中で落語をやる主人公は空想のキャラクターなのだけど、その人がすごい魅力的なキャラクターで、彼が演る(というお話)から面白く感じる。 落語心中も、作品中の「八雲師匠」が実際にやってくれるならそれは見てみたいと思う。
全然関係無いけど、自分は邦楽よりも洋楽を聴くことの方が多いのだけれど、CD に付いてくるライナーノーツがすごく楽しみだった。(最近は CD 買わないので見ないけど。。)後、雑誌のインタービューとか。
バンドメンバーが、どういう経緯でバンドに入ったり、出たり、なにかやらかしつつも成功したり、しなかったり。だから The Libertines とかは、ホント何みてもバンド活動以外のことばっかり取り上げられてたけど、そういうのも好きで、曲がいいのかどうかとかわかんないけど、とにかく好きだった。
実際に落語を聞いてみる
どうやら落語って、同じ作品でも「誰がやる」で結構違うらしい(と異世界落語のミニコーナーに書いてあった)。
ただ、「誰がいいよ」とか薦められても、たぶんそうそうしっくりはこないだろうから、とりあえず異世界落語の帯にメッセージを書いている「柳家喬太郎」という人を Youtube で何本か見てみた。
まずは、、、意外に長い。漫画とか小説で読んでると一本の落語が 30 分もかかるものと感じないので、すごく長く感じた。といいつつ、前フリ的なものがすごく長いのをたまたま選んでしまったような気がするけど、そっちも結構面白かった。
あと、時そばの蕎麦とか出汁を啜る音は、小説の中でも観客がどよめくシーンがあるけど、Youtube で見ても「ええ!」となるぐらい上手く作られた音でびっくりした(つまり、小説読んでる間は「そんな驚く訳無いだろ」と僕自身思っていたのでした。)
興味がわいたか?
ちょっとわいた。一通り異世界落語で紹介された話しは聞いてみようかなというぐらいのモチベーション。たぶん「伝統芸能」みたいな枠からは自分の中では外れたんだと思う。娯楽として興味がわいた。
そこからは、実際に一度生で見てみないと感動が無いかなと言う気もする。 うん、今後機会があったら見に行こう。動いてる様子とか観客が実際どういう動きをするのか見てみたい。
以上、特段取り留めない話でした。
技術基盤チームとして働いてみて
この記事は Sansan Advent Calendar 2016 - Qiita の代理記事です。年は明けてしまっていますが、残った枠が出ていたので埋めておこうかなと。
ここで話すこと
- 私が所属する部門で初めて技術基盤チームを置いたことの背景や、活動について
- 技術基盤チームを置いたことで、初めてチームが分割された時に起こったこと
弊社には運営するサービス + αの開発部門が存在するため、あくまでそのうちの一つの部門の話になります。
どういう部門の技術基盤チームか
所属する開発部門はエンジニアが入れ替わりはあれど 10 名程度所属しています。(インフラエンジニアさんは別に 2 名所属しています)
運営するサービスは足掛けでいうとおそらく運営開始からは 3 から 4 年経っていると思います。
私自身はその開発部門には 3 年程前から部署異動で参加しており、サービスの運営開始から半年から 1 年程経った時から加わっています。当時は弊社には珍しくパートナーさんがメンバーの大半を占めており、社員としては 4 人目の開発メンバーでした。
技術基盤チーム
途中で名称が変わったりしていますが、技術基盤チームとしては昨年の 6 月ぐらいに公式に動き始めました。
PM の役割も兼ねてくれているリーダーが一人と、私を含むプログラマが二人の 3 人体制です。
どうして作られたのか?
開発部門のリーダー(技術基盤のリーダーも兼務)の危機感によって作られたようです。
- サービス自体も運営開始から時間が経ち、少しずつ現状にフィットしない部分が顕在化し、開発スピードに影響してきていた
- 新メンバーを迎える事も少しずつ増えてきた
- 過去にリリースを優先する中で妥協した部分をそのまま流用するケースも出てきた(割れ窓が広がってきたとでも言うのでしょうか)
- サービス拡大する中で、現在進行でもリリースを優先するための妥協が目につくようになってきていた
- そういう事を開発メンバーも気にしており、KPT の場でも度々問題にあがっていたものの、事業優先の中で着手することがほぼできなかった
他にもあったかもしれませんが、リーダーの意図としては「分かりやすい形で別働隊を作らなければ、この状況は広がるばかりになってしまうから作った。」という感じだったと記憶しています。
設立に関して部門内での反応はどうだったか?
当時のサービスの状況としては、1 年程度取り組んでいたプロジェクトが一旦の収束をした中で、ある程度直近のやるべきことがみえていたという状況だったこともあり、企画・運用といった開発チーム以外からのリアクションはそれほどなかったように思います。(おそらく、そこでそのやるべきタスクが消化されない状況になっていれば変わったのだと思います。)
逆に、開発チームの方からのリアクションが大きかった
開発チームは長らく 1 チームでの活動で、週次の計画や振り返り・日々のサービス運用、コードレビューにいたるまで全て全員で行っていました。リーダーの意図としては技術基盤チームを作ったとしても、計画やアサイン以外はこれまで通り行うというものでしたが、一部からは「それでも分割には反対だ」という意見が出ていました。
当時のチーム分割に関する意見
実は技術基盤チームの話が出る前から「10 人は多すぎるのでチームを分割しよう」という話がちらほら出ていました。
- 事実上進行するプロジェクトに応じて複数チームで動いているような感じがあった
- そうなると、コードレビューもコンテキストが完全に共有しきれないので、結局そのプロジェクトメンバー内でレビューすることもあった
- サービスも大きくなってきて、全員が全てのコンポーネントを理解し、「いつでもどこでも誰でも同じ共通の見積もり規模で開発できる」というのは非現実的になってきた
- 何かの開発を始める時に開発者全員に説明をするための説明コストもばかにならなくなってきた
他にもあったと思います。ただ、どの問題をとっても「分割した方がいい」「いや、1 チームでもできる解決策はある」と双方に納得できる理由はあったため、決めきれないという状態でした。
が、最終的には「まずは半年やってみて状況を判断する」ということで技術基盤チームはスタートしました。
技術基盤チームとしてやったこと
世の中で「技術基盤」という用語を使った時に、どういう事をやるかは様々だと思います。インフラ的な事を指したり、CI/CD といった開発プロセスの整備を指したり、はたまた各プロジェクトを横断して関わり、共通に使える部分や、コアになる部分の開発を担ったり、組織によって担当することは異なると思います。
優先順位
私が所属した技術基盤チームでは以下の優先順位で動きました。
- 技術基盤チームだが、優先度の高い事業要求が入ればそれを優先して開発及び他チームへのヘルプに入る
- 技術基盤チームで選定したタスクを行う
はい、単に事業要求優先とうだけですね。これは、企画・運用チームや、開発チームに対する「あくまで我々は事業要求を優先する」というスタンスの提示でもありますし、実際 2 ヶ月程は事業要求に関するタスクも実施していました。
タスクの選定基準
タスクの選定としては大きく以下があります。1 を別にしましたが、実際には負債は解決すると Developer Experience にも寄与するものが多いので、軸としてはあまり変わらないかもしれません。
技術的負債
正直この用語を使うのもどうかと思いますが、ここで指しているのは大きく以下の 2 点です。
- 前クォーターなど、比較的最近にリリース優先などで意図的に積まれたもの
- サービスの開発・運用を続けていく中で、徐々に日々の開発を阻害してくるようになったもの
特に 2 に関しては以下の記事で出て来るような当時は要求に対して適していたものが、様々な理由で負債化していってしまったようなものを指します。
余談ですが、成長し続けるサービスを長く続けていると、技術の進化も当然ありますし、営業や顧客からの要望にどうしても急ぎで応えなければいけない時も多々有り、時間が経つと「どうしてこうなった」というコードは多々でてきます。
私自身弊社に入社した時には同じように C# 版のコードを見て「なんだこれは」と思い苦言や何の意味も無い正論を言った記憶もありますが、逆の立場になると本当に馬鹿な発言だったなと思います。
そして、逆の立場になって事業的にも安定した状況で入社してくる人にそういうことを言われると、なんというか辛い気持ちになってしまい、「ごめんね」としか言えないという。。
ある時点で「これが正しい」というのは簡単かもしれませんが、そこに歴史やコンテキストがあるものに対しては言葉や行動を選ばなければいけないなぁと思ったりする最近です。
DX (Developer Experience) と事業インパクト
この 2 軸自体はリーダーが提案してくれたもので、個人的にも違和感はありませんでした。開発しやすい環境作りに寄与したいものの、やはり事業的にも意味があればそれはより嬉しいものなので。
ここのタスクは本当に様々です。例えば以下のようなものですね。
- 遅くなってきた CI の速度アップ
- 手動で行っているリリース前の検証手順を自動化
- リードレプリカを手軽に使えるようにする
- DX が高い
- DB の schema migration を無停止で実施できるように
- リリースの手間が軽減される事に加えて、サービスの停止時間が短くなるので事業的にも貢献できる
- DB での障害発生時の影響を小さくするための施策
- これも障害時の手間の軽減に加えて、サービスの停止時間を短くできる可能性がある
他にも、Rails や Ruby などのバージョンを上げるなど、多岐に渡ります。それをチーム内で 2 軸にマッピングし、優先度を付けていきます。
実際にはクォーターでの時間は限られるため、単純に上からではなく、合計で 3 ヶ月に収まりそうなタスクをいくつか選び取ります。
成果としてはどうだったか?
まだ半年程度の活動でしたが、結果として現在も技術基盤チームは継続できています。
事業優先のタスクを 1/3 ぐらいやっていたり、実施できたタスクも比較的中小規模もものが中心でしたが、好評のものが多かったので選定自体は良かったのかなと思っています。
(特に複数 DB 用のライブラリを octopus
から switch_point
に変えたのは好評でした)
今期は、データを溜めていく部分の大きめの入れ替えを予定しているので、それが初めて 基盤 という名前らしい仕事になるのかもしれません。
チームを分割した事はどう影響したか
個人の感想にはなりますが、影響はあったように感じます。
- 技術基盤とそれ以外のチーム間でも当然ながら着手するプロジェクトの説明会は行うが、小粒のものは各チーム内で閉じることもあった
- なので、「ああ、こういうことやってるのね」というのをコードレビューで知るとかもあったり
- コードレビューを行う人の偏りは目立ってきており、油断するとレビューリクエストが溜まり続けるという事も散見された
- チーム横断して見る人も居れば、自分のプロジェクトの範囲中心にしか見ない人も
一方で、少しずつそれを皆が暗黙的に認めてきた中で、そういう動き方に対応したレビューリクエストの説明文の書き方になってきたようにも思います。多少面倒でも背景の説明や、コメントの充実がはかられているように思います。
チームとしての意識の分離
やはり発生していて、他チームの状況が少しずつ分からない事が増えてきたというのは事実です。一方で、それは自分のフォーカスするべきタスクに集中できる時間が増えているとも言えて一長一短だなと思いました。
この辺は個人的にも葛藤があって、時間をかけて他のプロジェクトも気にするようにすると気持ちはいいんだけれど、自分の仕事が進まない。だけど逆をやると申し訳ない気持ちになる。
半年を振り返ると、本当に最初から最後まで分からなかったプロジェクトもあれば、比較的気にできたプロジェクトもあるという感じで難しさを感じています。
現在は技術基盤チームのメンバーは他チームのコードレビューにも貢献できていますが、それがもしできなくなるような状況になったら、完全にチームを割るにせよ、また一つに戻すにせよ、立ち止まる必要があるのかもしれません。
リモートワーカーとしての立場
正直に言えば、対話が必要な人数が減ったのでコミュニケーションは楽になりました。これまでは、社内 SNS 等でできるだけ拾う必要があったものも、チームに朝会だけで必要十分な情報が得られるようになりました。
人数が多いと「できるだけ朝会は必要最低限に」という意識が働いてしまっていたのですが、人数が 3 人だと少々込み入った話をしても、それは間違いなく全員に関係あるので遠慮なく話を掘れるので、その点も話すためにいちいちリモート越しに人を招集しなくてもいいというメリットになりました。
レビューリクエストの説明が厚くなったのもダイレクトに嬉しいものでした。対面していれば「ここってなんでこうしたんだっけ?」と気になった事を聞くのは 2 秒ですが、リモートだとチャットも待ちになるので面倒なんですよね 😅
加えて、企画・運用との調整の繰り返しを行うサービス側とは違い、ある程度どうするかを決めれば、後は自分たちで調査と実装をしていくという事が多かったので、静かな環境で働ける身としては集中できている時間が長かったように思います。
技術基盤チームのメンバーはどう人事的に評価されたか
これまでもプロジェクトの成否で個人の人事的な評価をされるような事はありませんでしたので、技術基盤チームという直接的に事業に貢献することが少ない部門に移ったからといって、評価内容が変わることはありませんでした。(インフラエンジニアさんも多く所属しているので当然といえば当然ですが)
一方で、上長からは技術基盤として目の前のタスクだけではなく、チーム全体の技術面での貢献や、技術者としてリードする方法を考えていって欲しいとコメントを貰い、そういう意味ではこれまでとは違ったカットで個人の評価はされるようになっているのかもという印象を受けました。(言うてもチーム内では年長組なので、単純にしっかりしろってことなのかもしれませんが 😅)
余談
チームメンバー構成について
当時は、技術基盤チームはリーダーを含めて、開発チームで子供が居る 3 人が集まっていました。(現在は別チームに子供のいる人が加わったのでそうではないのですが)
これはリーダーが意図的にそうしたというよりは、集められたプログラマ二人が、その前からパフォーマンスのことを中心に見ていたり、ミドルウェアあたりのことをよく見ていた面子だったので自然とそうなったのだとは思います。
思い返してみると、私は部署異動前も含めると 7 年近く Web サービスを見ていましたし、もう一人の方も前職ゲームを運営していたりで、チームの中でそういう運用歴の長い二人が選定されたのかもしれません。
といいつつ、たぶん弊社はサービスとか目的に価値を置いている人が多いので、そこから離れてもやってくれそうな二人だったのかもしれません 😅
子育てエンジニアと技術基盤の仕事
企画よりの仕事をしていると、やはり KPI に早く反映したいしで「明日でもいいんだけど、今日やってしまうと嬉しいよなぁ」とついつい定時以降もやってしまうことが多かったのですが、そうすると子供をお風呂にいれるのに間に合わなくなってしまうんですよね。。(当時は子供は 20 時 - 21 時の間には寝てしまっていたので)
技術基盤チームでは、一旦そういうことからは離れたことに加えて、タスク自体が比較的大きいものが多いのでそれを計画して、その日に倒せる分だけ倒すというのがやりやすかったように思います。
とはいえ、これは部門としてもビッグプロジェクトが終わって比較的安定した時期にはいったからというのもあったからかもしれません。
私個人としてはちょうど 0 歳時を育てていた時期だったので、その仕事のやり方がとてもありがたかったですし、チームメンバーが皆子育てしている人という状況が単に心地よかったのかもしれません。
そういう意味では若くてガツガツしたチームとかに今後入ることがあったら、どう感じるのかなぁという。
妻の書く文章が好きだなと思った話
「妻・夫を愛してるITエンジニア Advent Calendar 2016」というひたすらほっこりできる企画があるようで、もう全て枠は埋まっていたのですが流れにのった感じで書いてみる。
妻と私
妻とは職場結婚で、結婚して4年半というところです。(妻は当時 Web デザイナ職でした)
3年前に東京から私の地元の徳島に移ったタイミングで妻は退職しており、昨年に子供が生まれ現在にいたるという感じです。
そんな私が青春時代に憧れた女性、結婚するならこんな人がいい、そう思った女性は「葛城ミサト」さんです。
はい、妻はだいたいこういういい飲みっぷり(と飲まれっぷり)を披露してくれる愛すべき人です。
では本題。
妻が主に文書を書く場所
私が知る限りはこれぐらいですが、もう今は書いていないブログとかもあるみたい。
書く文章が好きってどういうこと?
私は超小説好きって訳でもなく、小説もマンガもアニメもバラエティもちょっとずつ消費する感じです。なので、「文学的に優れているから」とか言うつもりもないし、そんな評価できません。
一方で私は徳島出身で徳島は自称関西圏です。新喜劇を見て育ち、小さい頃から 「話にはオチがあって欲しい」「話には一笑いぐらいあると嬉しい」 みたいな環境で育ってきました。(大阪がどれぐらいエクストリームなのかは知りませんが、まあ紀伊水道と明石海峡隔てた程度に薄まってると思います。)
さてまずは、そういう観点でここ半年ぐらいの Twitter から拾っていきましょう。
ムスメっ子が這うような動きを見せ始めた。名付けて「水平ボルダリング」。
— dannao (@nanaseteppei) 2016年5月27日
ムスメっ子の最近のお気に入りは、持ちやすくて食べやすい、SONYのCyber-shot。
— dannao (@nanaseteppei) 2016年6月7日
おでことおでこをくっつけるだけでキャハハハと笑う。可愛くて可愛くて、君が笑うなら何百回でもやるよと意気込むも、いともあっさりとブームは去る。
— dannao (@nanaseteppei) 2016年7月30日
寝かしつけ中、ふと目を開けると部屋の隅に座る赤子あり。
— dannao (@nanaseteppei) 2016年7月31日
「座敷わらし!!!」
この夏、「ちょっと待ってくれ!負けられない戦いがここにある!」というセリフを泣いてるムスメっ子に対して何度となく吐いている。蟻を退治しながら。
— dannao (@nanaseteppei) 2016年8月8日
「大」の字の成り立ちを正確に体現するムスメっ子の寝相2016夏。
— dannao (@nanaseteppei) 2016年8月12日
離乳食がこんなにも難易度の高いタスクとは知らなんだ。一日のうちけっこうな時間離乳食のこと考えてる。恋か。ちがうわ。
— dannao (@nanaseteppei) 2016年8月25日
ムスメっ子、最近のブームは指差し確認。
— dannao (@nanaseteppei) 2016年8月27日
ついついETごっこをしたくなる母はアラフォー。
旦那さんもダウンで残りは一機。
— dannao (@nanaseteppei) 2016年9月5日
ギョギョギョーー!!
— dannao (@nanaseteppei) 2016年9月19日
あービール飲んで踊りてー。 https://t.co/zcbsTmslps
ショッピングモールでカートに乗ると、大声張り上げ大手を振ってひとり祭り騒ぎ。大名かよ!とつっこんでたけど、たぶん大名そんなことしてない。
— dannao (@nanaseteppei) 2016年9月23日
お分かりいただけるでしょうか。
無味乾燥なツイートとしてポストすることも当然できたであろう一つ一つの文章に、ノリツッコミやワンフレーズのボケが小さいながらも巧みに入れられています。
爆笑でなくてもいい、ちょっと楽しい気持ちになればという健気な努力が垣間見えるツイートの数々は愛おしいという他ありません。
本人的には、あまり真面目に書くと逆に恥ずかしいからというのもあるらしいです。その発想がまた何かをくすぐります。
こういった小ネタの仕込みはブログ記事の各所にも見られます。
ブログ記事も一つ一つが丁寧に綴られていて、主観的な文章でありつつも写真と文章を織り交ぜつつ読み手に優しいものになっていると思います。 もちろんその文章の中における小ネタに期待しつつ読むのも妻の記事を見る楽しみの一つです。
妻にはもっと文章を書いて欲しい
妻は元々旅行好きで、一人で海外にいったりもしていました。 今は仕事も辞め、子育てもあるため以前のように気軽に旅行にという状況ではなくなっています。
ただ、旅行だけにとどまりませんが、彼女のそういう体験記は僕はもっと読みたいし、誰かを楽しませることができるんじゃないかなぁと思っています。(もちろん、それを仕事にとか言うと違う話になると思いますけど、ここではそういう意味ではなく。)
すぐにという訳にはいかないと思いますが、彼女がもっとそういう記事をかけるような環境にしていければなぁと思いますし、彼女の産後の人生設計の一助になればいいなと思っています。
最後に日頃の感謝をこめて、いつもありがとう。これからもよろしくお願いします。