予想どおりに不合理 1, 2 章を読んだ

可処分時間が短いと、PC の前でコードを書くには個人的には短いので、最近はちょこちょこでも本を読むようにしてる。

(Write Code Every Day 的なことができればいいんだけど、その時間のための準備をする思考の余裕が無いのが現状・・)

この本は、たまたま古本屋で目に入った、タイトルを知っている本だった以上に読み始めた理由は無い。

1, 2 章は「相対性」と「恣意の一貫性( 及びアンカーリング)」の話。出てくる実験例もどれも「ほー、おーーー、たしかにーーーーーー」的なものばかりで楽しく読めた。

ちなみに「はじめに」にある、どうしてこの研究を始めようとしたかという以下の部分もぐっと来た。

だが、科学は実験の積み重ねであり、これに携わる人はだれでも(たとえわたしのような新入生でも)、仮設を検証する実験方法さえ見つけることができるなら新説を打ち立てられるのだという考えは、新たな世界を開いてくれた。

読んで考えたこと

相対性の話

「A, A', B」の 3 つの選択肢があると、A' によって、A が際立つというのは、ぱっと実体験では出てこなかったがいかにもありそうだなぁと思った。

確かにコーヒーでも、なんでも複数選択肢が並べられた時、なんとなく見栄や財布事情から真ん中ぐらいのを選んでいる気がする。これは相対的な判断だ。

また、1 万円のものを買う時の数百円と、3000 円のものを買う時の数百円も、たしかに場合によるが、後者の方が重要に考えることが多いなと自分でも思う。そういうのは、自分でもなんとなく感じていて、「なんで僕は、ここでこの金額節約しようと思うの?」とか「どうして、あっちではこの金額上乗せして買ってるのに、これ買うのを渋ってるんだ?」とか自分にイラつくことがある。そして、苛ついていることまで認識できているのに、なぜか決断できない。。確かに不合理。。

給料と相対性

終盤に触れられている。

実際世間のほとんどの企業が社員同士で給料を公開することを禁止または非推奨としているだろうし、前職もそうだった。一方で、ほんのわずかな企業だが、給料を公開しているところもある。

この辺は、非公開にしたところで社員同士は飲み会の場や噂レベルで勝手にそういうのを広めていくから意味ないだろうと思っていたし、そもそも評価制度が納得できるものになっていないと、噂で広まる他人の給料に対しての苛立ちが大きくなるだけだろうと思っていた。(自分の場合は病気もあったので、給料は他人と比較しても仕方ない感じに低くなったりしたので、多少例外あだが)

けれど、この本を読む感じ、「公開する」という選択肢を取るのは、こういう人間の不合理な考えを踏まえてもあまり得策じゃないのかなと思ったりした。できるとすれば、少数の信頼関係のあるチームぐらいか。

恣意の一貫性の話

簡単には、最初に刷り込まれた「価格」等が、その時の判断だけでなく、将来的にも影響を及ぼすアンカーになりうるとかそういう感じ。

自分は自分で「ファーストインプレッション派」と勝手に思っていて、何かというと、買い物をする場合は、たいてい最初に見たものを最終的に選ぶことが多いという感じ。

これまでは、それを「一番気に入ったものを最初に見るから、比較したところでそれを買う」と思っていたが、もしかするとこれは単に「最初に見たものがアンカーになっている」のではないかという気がしてきた。

もちろん、本書でのアンカーの役割は「アンカーが一番価値があると考えてしまう」とは異なるものであり、僕のこのファーストインプレッションは単発の買い物に有効なものなので、厳密には異なるようにも見えるけど、実は買い物前の段階で Web / CM 等で目に入ったとか、そういうアンカーが長い時間残り、「いざ買い物」という時にそれが働いていると考えるといかにもありそう。

最近車を見ていたりしたが、結局昔から好きな HONDA か MAZDA に思考が寄せられているのを感じる。それが今必要な車のスペックとは異なると分かっていても、「車の顔が好みじゃない」とか「微妙に大きい」とか屁理屈をつけて、違う選択肢を正当化しようとしているのを感じる。

この章では、市場の需要と供給の話にまで及んでいるが、供給側の価格設定(及びマーケティング)が、需要側に影響してるというのは、「操作されてんなぁ」というのをしみじみと感じるし、自分はいいカモだなぁと分かる。

一時の決断が、将来にまで影響をするということや、あらゆるものがアンカーになっていて、それをいろんな場所に引っかけようとしてくるのがマーケティングなのかと知って、今後の選択に活かしたいなと思った。