「岩田さん」の 1, 2 章を読んだ

久しぶりに旅行に行っていた最中にちょこちょこ読んでいた。

自分はそれほど任天堂ファンという訳でもないし、岩田さんを追っていたわけではないけれど、友達からのオススメで手にとってみた。

判断について

判断とは、情報を集めて分析して、優先度をつけることだ

これまでの職場でも判断は重要だとか、そこにどういう意図や意志があって判断するのかとか、そういうことは言われてきていたが、そもそも「判断自体は何をすることか?」ということに言及してきたことはあまりなかったように思う。もちろん、判断軸は毎回存在していたし、話し合いの過程では、どのように判断、意思決定がされていくかの how はあったが、それ自体を分かりやすく言語化するという意味で。

実際には、情報の中には関係者の思惑や感情なんかも乗ってくるので、そこまで単純ではないことが多いとは思うけれど、やるべきことはまさにこういう一文がよく表しているんだと思う。

面談、マネジメントについて

今でこそ 1 on 1 とかは自分の業界では流行っているように思えるし、People management 的なことは盛んに議論されているように見える。(といいつつ、ここ 1 年はフリーなので全くそういうことはないんだけど)

けれど、岩田さんの社長という立場や、その動機をみると、それがお手本かどうかはさておき、そんな社長実在するのかと思ってしまう。

自分が変わったら、それをちゃんとわかってくれるボスの下で働きたい。だから自分も社員のことをいつもわかっていたい。それが面談をはじめた動機です。

1 on 1 等では、そういう話も聞けるようにというのは言われることだと思うけれど、きちんとそれが上司側の気持ちに含まれているかというのは大きな違いになると思う。 自分ではそうは振る舞えない。
もちろん、その辺をカバーする意味でも 1 on 1 はもっと多くの頻度で行われるし(岩田さんは半年に一度となっていた)、雑談の中から吸い上げるというのもあるんだろうけど、「わかっていたい」という思いを持てるかは違う部分だと思う。

人が相手の言うことを受け入れてみようと思うかどうかの判断は、「相手が自分の得になるからそう言っているか」、「相手がこころからそれをいいと思ってそう言っているか」のどちらに感じられるかがすべてだと私は思うんですね。
ですから、「私心というものを、どれだけちゃんとなくせるのかが、マネジメントではすごく大事だ」と、わたしは思っているんです。

これは、なんというか、すごく分かる。いい例が思い出せないけれど、こういう感情みたいなものを、「ちゃんと分かってるな」と思う上司とそうでない上司というのは確かにいたと思う。
少し意味は違うかもしれないけれど、「自分の言葉で話していないな」と感じられる時も、その段階で受け入れる気がなくなる。

やっぱりみんな納得して働きたいんですよね。ただ、会社がいろんなことを決めたときに、ふつうの社員の人たちはほとんどのケースで、なぜそう決まったのかがわからないんです。単純に、情報がないです

岩田さんが、この場合にどれぐらい社員の人たちと向き合って腹落ちしてもらうようにしていたかは実際に見ていない以上はわからない。

こういうのって、一部のマネージャーだけがそういう振る舞いができたとしても、例えば経営層とかが「とにかくやれ」みたいな感じになると、社員の信頼はなくなってしまう。

書籍途中の語録に以下もあった。

説明してそれを聞いた人がわかるのと、その分かった人がほかの人に説明できるほどわかることは、ぜんぜん別ですから。

会社を引き継いだ経緯

理科系的に期待値を計算してなにが得かと考えたら、十何億もの借金を背負うという選択肢はないんです。ですから、逃げないと決めたのは、美学か倫理かわかりませんけど、そういう類のものです。一緒に汗をかいた仲間がいるのにどうして逃げられるか、というのがいちばん大きい要素でした。

自分がやることに合理性があったからみたいなのも合った気がするけど、この辺を読んでいるときに、自分が尊敬してる元上司のことを思い出した。

彼も上場企業にいたときに、業績が大きく傾いた時に社長として会社を引き継いだらしい。抜擢といえば聞こえはいいが、実情としては他にやりたがる人がいなかったようだ。彼も技術者でありながら社長もやっていたわけだけど、結果として数年で V 字回復、けれどもそこで身体を壊し退任。その後私が当時いた会社に来たという感じだった。

彼に美学や倫理があったのかはわからないけれど、「自分がやるしかなかった」というのはなんとなく共通していたのかなと思う。そこから技術者としてのやり方で会社を建て直していった部分も。

経営

自分たちは、なにが得意なのか。
自分たちは、なにが苦手なのか。
それをちゃんとわかって、
自分たちの得意なことが活きるように、
苦手なことが表面化しないような方向へ
組織を導くのが経営だと思います。

人の集合である、組織の得意/苦手、それを理解すること自体すごい作業になりそう。

物事って、やったほうがいいことのほうが、実際にやれることより絶対多いんですよ。だから、やったほうがいいことを全部やると、みんな倒れちゃうんです。
ですから、自分たちはなにが得意なんだっけ、ということを自覚したうえで、「なには、なにより優先なのか」をはっきりさせること。順番をつけること。それが経営だとわたしは思います。

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つまり、基本的には、その会社が「得意なことをする集団であろう」ということを目指すとしても、人と人が一緒に仕事をするためには、最低限、苦手だろうがなんだろうが、やってもらわないと困るということを決めないと一緒に働けないんですね。というときに、その「最低限のこと」を、なるべくしいさくすることが、経営者としてただしいんじゃないかなとわたしは思うんです。
そもそも会社というのは、持ち味の違うふつうの人が集まって、ひとりでは実行できないような巨大な目的を達成するためにあるわけです。

得意なことを自覚しつつ、優先するものをはっきりさせる。苦手、またはやりたくないことは、とにかく小さくしていく。

日々回していくプロジェクトでも同じことが言えるよなぁ。

ボトルネック

ところが、人は、とにかく手を動かしていたほうが安心するので、ボトルネックの部分を見つける前に、目の前のことに取り組んで汗をかいてしまいがちです。そうではなくて、いちばん問題になっていることはなにかとか、自分しかできないことはなにかということが、ちゃんとわかってから行動していくべきです。

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そのように心がけたとしても、行動のもととなるのは所詮仮設にすぎないので、間違っていることもあるかもしれません。けれども、少なくとも「ここがボトルネックになっているはずだから、これをこう変えれば全体がこうよくなるはずだ」というふうに行動しなければいけないんですけど、わりとそれができないんですよね。

ボトルネックまでいかなくとも、日常の業務で「どういう課題感を持てるか」ってのはあるなと感じる。怖いことに人間は慣れたり適応するのが早いので、それを課題に思わなくなってしまういことがある。プログラマの三大美徳までいかなくとも、課題感をきちんと持って、習慣化してしまった無駄な行動等を変えていけるかも大事かなと思った。

変えること

わたしは任天堂がいまのこの環境なら変わったほうがいいと思うことはあるけれども、現状否定からは入りたくはないし、入るべきだとも思っていません。
放っておけば会社がつぶれるし、変わらなければいけない理由は目に見えている.......という状態のときには現状否定から入っても誰も反対はしないんですけれども、なかなかそれほど極端な状況にはなりません。

自分の業界だと Web サービスとかが長く運営される中でちょっとずつ古くなったり、悪い部分が積み重なったりするわけだけど、自分も同じように否定からは入りたくはないと思っている。たぶんそれは、長くサービスを運営してきた中で、あとから入ってきた人にたくさん否定された経験が大きいんだろうと思う。

面接

わたしの経験からいうと、面接官には2通りのタイプがあるんです。相手をほぐしてからその人の本性を引き出して、そのうえで選びたいと思っている人と、「ほぐれていないから話せない」というのもその人の社交性だったり、力だったりするから、そのまま評価してしまうという人と。   わたしは、前者です。後者の面接官って可能性を一部しか見てないと思うんですよ。まずはほんとうの自分を表現してもらわないとなにもはじめられませんからね。

自分を整理するという意味での面接の練習はしっかりするべきだけど、上辺の言葉をさらっというための練習は面接する側としても聞き流すだけだからあんまりして欲しくないですよね。

新人

けっきょく、新人が会社からいちばん求められていることは、「飾るな」ということなんです。その一方で、いかに同じことで何度もほかの人を煩わせないかということ。   それから、新人って、どういうわけか、明らかに説教しやすい人と、しにくい人がいるんですよ。安心して「バカもん!」と言える人と、腫れ物に触るように叱らないといけない人がいるんです。   これって、じつはものすごい差なんです。こちらから与えられる量も、その人が吸収できる量も、最終的に大きく変わってくる。「バカもん!」と言われやすい人は、ものすごくたくさんのことを短期間に学べるんです。

わかる。飾るというか、隠されたりすると、もう何も言えなくなる。新人じゃなくても。

どういう人が気持ちよく「バカもん!」と言われるかというと、おそらく、動機や行動が純粋で、悪気がないこと。言われたときに打たれ強いかどうかということではないですね。そして、前提として、たとえたしなめたとしても、こちらが「その人の人格を否定してない」ということが相手に伝わっていること。その信頼感がお互いにあるからこそ、安心して「バカもん!」と言えるんだと思います。

打たれ弱いからなんも言えねぇ。

逆に、腫れ物に触るように叱らなくてはならない人っていうのは、「ここからは入ってこないでください」っていうバリアーみたいなものを、周囲に感じさせてしまう人なんでしょうね。そこに踏み込んでしまうと、その人のことを壊してしまうんじゃないかと、まわりの人たちが気づかってしまうというか。

仕事

考えようによっては、仕事って、おもしろくないことだらけなんですけど、おもしろさを見つけることのおもしろさに目覚めると、ほとんどなんでもおもしろいんです。この分かれ道はとても大きい

どんな仕事でも面白いところを見つけるって言ってた人のことを思い出した。すげぇなぁ。

敬意

まず、明らかに自分と意見の違う人がいる。それは、理不尽にさえ思えるかもしれない。でも、その人にはその人の理屈と理由と事情と価値観があるはずなんです。そして、その人たちは、自分ができないことをできたり、自分の知らないことを知っていたりする。だから、すべてを受け入れろとは言いませんけど、自分にはないものをその人が持っていて、自分にはできないことをやっているということに対して、敬意を持つこと。この敬意が持てるかどうかで、働くことに対するたのしさやおもしろみが、大きく変わってくるような気がするんです。

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だから、わたしが言ってることって、道徳観じゃないんです。つまり、仕事で出会ういろんな人たちに敬意を持って接することが、自分の仕事をおもしろくしてくれる。それを言いたいだけなんです。

そうなんですよね、特に技術職とかになると、ついそこでの知識とかで優劣を決めつけてしまいがちなんですけど、仕事っていろんなことでできているからいろんな視点でみるべきなんですよね。そういう意味では、例えば Web サービスにしても、コードを書くだけじゃなくて、運用して、お客さんの反応をみて、宣伝してとか、全部をやってみるといろいろ見えてくる気はする。

働く

本気で怒る人にも、
本気でよろこぶ人にも出会えるのが、
働くことのおもしろさじゃないですかね。

深い。