予想どおりに不合理 10, 11 章を読んだ

社会人になって初めてじゃないだろうか、お盆休みというものがあるのは。ここ 10 年ぐらいは夏休みという概念の無い会社(終盤に 3 日ぐらい導入されたが)にいたし、それでなくとも IT の仕事をしていてお盆を休みにする理由もなく、逆に 9, 10 月ぐらいに遅れて休みをとったほうが旅行もしやすいという感じだった。

で、せっかくお盆が休みになったが、徳島アラートの発令で保育所からも「不要不急の県外への移動は避けろ」的なメッセージが送られてきたのでおとなしく地元の実家でお盆らしいお盆を過ごしていたのだった。ラップトップを持たずに行ったので、外出以外は本を読んだりゲームをしたりの時間がまあまあ取れた気がする。

読んでの感想

予測の効果

ここでは予測(事前・予備知識であったり、過去の経験)が、これから起こる体験に対してどういう効果をもたらすかというもの。

事前知識や雰囲気

食事に関しては、「酢入りのビール」を事前に知っているかどうかで感じ方が変わるか(事前に知らない場合は印象が悪くならない)や、高級そうな食器に入っているかいないか、ワイングラスの形、ケータリングの商品名など、多くの実験があげられている。

ケータリングの商品名をいかに「美味しそう」と思わせるかで印象を良くするというのは、日常を思い出しても「そんな大げさな」と思いつつも、「ちょっと食べてみようかな」という期待感が出たり、そのまま「美味しいじゃん」となったりするのは分かる。(逆に期待のハードルが上がりすぎるケースもあるけど、自分はそんなにグルメじゃない)

ワイングラスなんかは、たしかにワインにこだわったお店にいくと、グラスについての説明(香りが開くやらなんやら)をされるが、研究としては味覚に影響を与えないというのは「おおお、やっぱそうなの」という感じ。一方で、それが悪いとかなんでもなく、そういう「知識」が与えるエッセンスでより美味しく感じたり感じ方が変わるというのは面白いものだと思う。

日本でも買ってきた惣菜をお皿に移し替えるかどうかみたいなのがあると思うが、それも味覚に影響を与えたりするのだろう。

加えて、コーラの実験では、ペプシコカ・コーラを飲み比べる際に、名前を伏せるかどうかで感じ方が変わり、少なくとも実験の中ではコカ・コーラのブランドイメージが良い方向に働きコカ・コーラを美味しいと感じさせるというのも面白かった。

ステレオタイプ

ある問題に取り組む際に、自分の「性別」に対する認識をさせられるか、「人種」に対する認識をさせられるかで成績に変化が出たというもの。(ここでは「数学が得意」とされる「アジア系アメリカ人」でかつ「数学が苦手」とされる「女性」の両方を満たす人を対象にしている。つまり女性を意識させられた場合は成績が悪くなる傾向にあった。)

他にもそういうステレオタイプにそもそも属さない場合であっても、「気性」に関することや「年齢」に関することをプライミングされると、実際にそういう行動を取ってしまうというのは、なかなかに驚き。(若い人なのに、「老齢」に関してプライミングされると歩く速度が落ちた)

これはなんというか、暗示が実際に効果を持つケースがあるということであって、それこそ子供に対して親が悪い暗示を無意識にかけないようにしなくてはと考えるいい機会になった。

目隠し効果

我々は真実を部分的にしか見ていない。後は先入観や知識によっていい方にも悪い方にも歪めてしまっている。

これが食事程度ならいいが、民族間や国家間の間になるとそう簡単にはいかなくなる。この本でも具体的にどうすべきかまでは書かれていないが、目隠し、つまりはそれが何とは知らずに接してみることで良い効果を得られるのではないかということが述べられている。

もちろん、そういう大きな話題になることが、両者がそれとは知らず話すことなどできないとは思うが、双方が「自分たちに偏りがある」ことを認識し、そういう先入観の無い第三者とともに話すことができれば良い方向にいけるのではないかということと理解した。

最後の引用

こうしてみると、肯定的な予測は、ものごとをもっと楽しませてくれるし、まわりの世界の印象をよくしてくれる。何も期待しないことの害は、それ以上何も得られるずに終わってしまうかもしれないということだ。

価格の力

この章は冒頭でプラセボ手術の記述から始まるが、なかなかに衝撃。プラセボ(プラシーボ)的な言葉は耳にするし、なんとなく意味はわかっているつもりだったが、こんな外科手術レベルでも起こりうることなのかとびっくりした。つまりは、「この手術は効果があります」という予備知識だけで、患者は実際に「(一時的にでも)改善」して帰っていくということだ。

プラセボは昔からあり、ミイラ薬のような聞くからに怪しいものもあれば、上述のような医師が行う手術や処方薬ですらそれに該当するものがあったらしい。もちろん今でもあるかもしれない。

そしてプラセボは「暗示」の力で働くらしい。医者が効くといえば効いた気になり、それが新しい特効薬だと言われれば、もっと効いた気がする。

信念と条件づけ

プラセボの暗示を働かせる2つの仕組みついて説明している。

一つは信念で、医者に対する信頼や確信だ。これは分かる、正直体調悪くてどうしようもなくて病院に行くが、病院から戻ってくるだけでなんとなく良くなっている。「薬もらうんじゃなかったな」と思う程度には。

二つ目は条件づけで、体は何度も経験すると期待を高めていき、様々な化学物質を放出してわたしたちに先々の心構えをさせるようになるらしい。 慣れが予測を生むということのようだ。

高価な薬と安価な薬

高価なものが安価なものより気分をよくしてくれるのかというもの。ソファーやジーンズは実際に品質に差はあるかもしれないが、無理に高価なものを買わなくてもいい、一方で薬となるとそこでお金を惜しむ理由がなくなる。
自分も「高い栄養ドリンク」を買ってしまった経験とか結構ある。

で、この節はさっそくただのビタミン剤がプラセボによって効果の高い(と被験者が感じる)痛み止めになった描写から始まっている。まじかよ。

そして、さらには同じものでも値段を変えると痛み止めとしての効果が弱くなる(いずれにしろビタミン剤だが)ということまで書かれている。

さらに痛み止めの効果だけでなく、ある栄養ドリンクに「クイズ課題などでの成績向上」に関するラベルを貼ったりでっちあげのサイトを用意し見せただけで、成績まで上がってしまったらしい。なんだ、試合の前にカツを食べるとか、結構効果あるんじゃないか。もちろん、暗示のためにはそれで良くなる経験も必要だとは思うが。

この節では、最後にこの値段が安いと効果も低いと感じてしまう不合理な考え方を脱却できるかというものだが、どうやら実験の結果、「価格と品質の関係」について考えるのをやめておけば、値引きされたものを飲むと効果が低くなるということもなかったらしい。
一方で、値引きであれば「関係ない」と思えるが、そもそも価格が異なる商品だとどう考えればいいんだろうなぁ。成分とかをきちんと比較できるようになればいいのか。

プラセボの有益性

ここまでプラセボの良くない面が提示されてきたが、ここで有益性に言及される。

しかし、プラセボの力に「たんなる」などというものはなく、よく見ると、わたしたちの心が体をコントロールする驚くべき方法を体現している。心がいかにしてこのような驚くべき成果をあげるのかは、かならずしもはっきりしているわけではない。もちろん、効果の一部は、ストレスの軽減、ホルモン分泌の変化、免疫システムの変化などが関係しているにちがいない。脳と体のつながりについて理解すればするほど、かつてあきらかだと思っていたことがつぎつぎ不確かになる。それがもっとも如実に現れているのがプラセボだ。

例えば医師が単なる風邪に抗生物質を処方するケースがあるのは、効果が無いとわかりつつも、患者がそれで安堵するため処方するケースも多いらしい。(確かにたまにネットで抗生物質を出す医者はだめとか見るが、プラセボの見地から見ることもできるようだ)
他にもマーケティング担当者は、商品を魅力的に見せるために誇張したり商品をよく見せようとするが、うそにまでなるのは良くないかもしれないが、実際にその誇張で購買者の気分が普通に購入するより良くなるのであれば、必ずしも悪いとはいえないというものである。

この辺は医師も葛藤していると書かれているが、自分が似たような立場だったとしても悩ましい部分だろうとは思う。写真一つで、商品が売れるか売れないか決まるような時代、よく見せるというのは、買った人の体験を上げる意味もあるのかもしれない。

プラセボと自分

このプラセボの話は自分の生活を考える上でも良い情報だったと思う。

というのも、自分はストレスを貯めやすい。ここ最近も自分でも明らかにストレスからくるものだと分かる程度に身体が不調の時期があった。そして、こうやって在宅で田舎に引きこもって仕事・生活をしていると、なかなかそれを好転させることが難しい。

加えて、時間に追われて生活をしているせいか、何か気を緩めて何かをすることに抵抗があったりもする。(他にすることが有るだろう的な)

昔は金曜日というだけで気分が少し良かった、今は金曜もあまりうれしくはない、お酒を飲んだりある曜日にあるお笑い番組を見るのが楽しみだった、今はあまりそういうのもない、手術をしたことでの生活の変化や、子供が大きくなったことでの時間の使い方の変化で、余裕が無い中ではあるけれど、意図的に「これをすれば、これを買えば、これを食べれば」みたいなものを見つけていくことで、何か自分のメンタルを改善させていくきっかけになればいいなと思った。