予想どおりに不合理 14, 15 章を読んだ

予想どおりに不合理もようやく完走。7 月の中旬に読み始めてるからだいたい一ヶ月か。

読んで考えたこと

わたしたちの品性について その2

「なぜ現金を扱うときのほうが正直になるのか」

職場から赤鉛筆をもっていく

ペンやポストイットであれば、もし自宅で使いたいとなったときもっていくだろうか?持っていくかもしれない。では現金が無造作に置いてあったら、それをペンやポストイット相当の少額でも持っていくだろうか?

不正行為は現金から一歩離れている

不正会計、資金集めパーティー、接待旅行、なんにせよ現金から一歩離れている。もしも不正会計が金庫に入った現金に対してなら(どう実現するかはともかく)それを行っただろうか?

職場の備品は報酬の一部ともいえるじゃないか、ごまかした会計は一時的な処置で来月には直すつもりだった、など言い訳はいくらでもできるが、それが直接の現金に対してなら同じことをしたか。

代用貨幣での不正実験

現金に対してか、代用貨幣 (現金に対する引き換え券) に対してかで、不正を行う割合が増えるかの実験。引換券に対してになると、被験者は道徳上の制約から解放されたかのように、限界まで不正を行うようになるケースがあるという驚くべき結果になった。一方で、普段の時に、「代用貨幣の場合に不正を行うと思うか?」の質問には誰もが「それはありえない」と回答してしまう。実際に不正をする本人も、自身が不正行為を正当化してしまう状況になるまで自分がそうなると思っていない。

確かに、確定申告のことを思い出したとして、今まだその時期に遠いときは「正直に付けるだけだ」と思っていても、いざ領収書の山と、積み上がっていく金額をみれば、「これは考えようによっては経費では?」と小さな不正行為を正当化しだすかもしれない。出張時の相手への手土産と自宅へのお土産なんて、そういう機会が多い人は混ぜ込んでしまうかもしれない。

ビジネス界の不正

小さな不正が横行する。航空会社の従業員が顧客から不正にマイルをだまし取ろうとする(つまり現金ではない)。クレジットカードの利息の計算方法も予想外のことをしてきたりする。

CM やパンフレットでは、さも家族の一員のように振る舞っていても、現金から一歩離れれば、平気で小さな不正を行ってくる。

どうするか?

自分たち自身が、代用貨幣と不正をしてしまう傾向の関連に気づけなければいけない。現金から一歩離れれば、自分では想像できないほどの不正をしてしまうのだと自覚する必要がある。

田舎で引きこもっているとそういうことは少なそうとか自分で思ってしまうが、きっと思い出せないぐらい小さなでも確かに不正直な不正を自分もしてしまっているのだと思う。特に、ほとんどのことを自分もオンラインで済ませることが多く、不正に気をつける側でもあるし、同時にしてしまわないように気をつけていきたいと思う。

ビールと無料のランチ

行動経済学とは何か、そして、無料のランチはどこにあるのか」

ビールの実験と独自性欲求

グループに複数種類のビールからの注文を取る場合に、他人の注文と自分の注文、そして注文したものの満足度がどう影響するかという実験。

ここで、他人の注文に影響されて、異なるものを注文する人には相手になんらかの印象を与えるために、消費行動から得られる満足を犠牲にして、異なるものを選ぶらしい。逆に帰属意識の強い民族等では、同様に満足を犠牲にして、同じものを選ぶ傾向にあるらしい。

自分たちの不合理さを受け入れ、無料のランチを振る舞えるように生きる

経済学の観点からいえば、私達は合理的な選択を行う。目の前の選択肢の価値を判断し、何にも影響されずに決定することができるはず。

しかし実際はそうではない。自分でコントロールしているというのは、願望でしかなく、実際には不合理な決断をしている。

不合理はあたりまえかもしれないが、いつどこで間違った決断をする恐れがあるかを理解し、慎重になって、決断を見直すように努力することもできる。
また、科学技術を使って、その弱点を克服する方法を探してもいい。

個人も企業も、みなが無料のランチにありつけるような振る舞いを検討するといい。

読み終わって

正直に言えばタイトルから受けていた内容とは違っていて、それでいてとてもおもしろかった。予備知識も期待感も無かったのにこんなに面白く読めたので、自分にとって興味のある内容が多かったのだと思う。

自分は影響されやすい面と、独自性の欲求もあり、かつあまり好みのようなものが言語化できない。

最近車を購入したのだが、「今の軽だと遠出が辛いからちょっと大きめの普通車で」というのが大前提にありつつ、友人が最近買った車に影響されたり、「やっぱ電気自動車だな」と何に影響されたのか分からないようなことを言い出したり、「田舎に住んでてどうせ汚れるし、中古車でいいか」といいながら新車も調べ始めたり、実際 CM や Youtube での紹介動画なんかにもかなり影響されている。

けれど、最終的には昔から好きだったメーカーの中古車販売所でパッと見つけたのを買ったというよくわからない結果になった。

今回の行動にどれぐらい不合理だと言えそうな行動・判断が入っていたかは、たぶん数え切れないぐらいあるが、最終的に脳内のストーリー(昔もこのメーカーに憧れあったよね、中古で買ったから結構節約できたじゃん、など)や自宅の前にある姿を見て、とても満足した気分になっているので、これもプラセボの仲間なのかなと思ったりしている。きっと他人が見るより、自分のものはよく見えているだろう。

これからも、自分の行動を振り返ってみたり、判断の前に思い出したり(都合よく思い出せれば)して、活用していけたらなと思う。