あやうく一生懸命生きるところだった を読んだ

いつからだろうか、自分は自分にいくつか勝手にロールを設定してしまっている気がする。ただ、それはほとんどの場合ただの自分の勝手な理想像だと思う。

自分の中のソフトウェアプログラマ像であったり、夫像であったり、父親像であったり。最近だと、そこに 40代像が加わり、漠然とした大人みたいな像も加わっている気がする。

自分の人生はどのあたりだろうか?

あくまで仮定の話でしか無いが、自分は数年前の大病の影響もあり臓器を実質一つ失っている。その影響があるのかないのかはわからないが、もしかしたら自分の寿命は(なんの事故もなかったとして)ある種の平均には達しないかもしれない。そうなると、40代を目前に控えた自分の人生は半分どころか 2/3 を終えた状態かもしれない。もちろんそんなことは終わってみないと分からない。でも、そういう不安を感じることはあっていいと思っている。

ちょうど、この本の著者は執筆時点で今の自分と同じ年齢ではないかと思う。家族構成の違いや国籍の違いはあるが、共感できる部分が多い内容だった。

以降の内容は必ずしも書籍に一致するところではなく、あくまで自分が考えたこと。

自分は何を諦めることを認めるべきだろうか

書籍にもあるが、僕は自分が熱中することを探すタイプの人間だと思う。そして、それが見つけられずに悩むタイプでもある。そういうケースもあるということを教えてくれたことは一つ救いだなと思う。

一方で熱中できるかはわからないがやりたいことはたくさんある。たくさんあることを仕事前や週末に少しでもやりたいと思うが、家族もいるし本業もある中でそこに割ける時間や熱量はどうしても限られる。結局昼間の仕事の拘束時間が最大のネックだと気づくが、それはどうしようもない。
どれだけ計算しても、今の生活費を自分の所得なしで賄うことは不可能だ。そして自分の都合で生活レベルを下げることは、それはそれで難しい。(なんとなく世の世帯収入を担っている人には分かってもらえるのではないかと思う)

「休んでもいい」と家族に進言されたとしても、それは休みが終わったら今と同じだけの所得が戻ってくることが前提になっているし、この年齢になってブランクを作って所得を維持できると安易に考えられるほど僕は自分に期待できない。
家計を背負うロールを持つということは、まあそういうことだと思う。

「諦めること」と書いたが、自分がありたい姿を再設定することはいくらでもできる。そこを現実と擦り合わせていくことが大事なんだと思う。

どこまでいっても一人であることを認める

自分の大病が影響しているかどうかは分からないが(病気自体は手術で切除しており、今は転移がないかの観察期間だ)、年々健康診断の指摘項目や、体感する身体の不調も少なくなくなっている。このあたりは、一生付き合っていくしか無いと覚悟はしつつも、発覚するたびに心に重くのしかかってくる。

もちろん、致命的なものでなければ自分の状況であっても食生活や運動など改善点はいくらでもあるが、結局のところこれらは全て自分一人で受け止めなければいけない。具体的に「どうしたらいいい」かを考えるのは自分であり、そこも不安な中で手探りで進めなければいけない。

不安が大きくなると心配して欲しいみたいな期待がでてしまうが、そうではなく現状を受け入れることに注力した方がいいのだと思う。

過程を楽しめることを再確認したい

過程を楽しむ、いつからか忘れていた気がする。どちらかというと作りたいものは週末だけで作ってしまって完成形をすぐに見たい。それが、アイデアの形をすぐに形にできるというソフトウェアのいいところを利用した考えなのか、過程をどうでもいいと思っているからなのかは分からない。

ただ、「過程を楽しめる」というのは自分の一つの理想とする形だなと感じた。僕は、なんにせよ上から下まで自分で作りたいと思っている。一面としては、どれも深い理解がなく浅いままに作っているのだが、一面としてはどこもある程度理解できているということ。なので今は本当にいい時代で、だからやりたいことはたくさんでてくるのだと思う。

この辺は、うまく今後の自分の人生を考える上で理想形の修正に反映していきたいところ。

だめな自分を認めてからの自尊感

天井に気づいたのがいつだったか忘れたけれど、それでも技術領域を変えるたびに天井に気づくまでに時間がかかるので、そこまでは他人と比較するという癖は割とあるのだと思う。
今勉強している分野も、上はいくらでもいるのだけど、まだそこにどれぐらいで手が届くのか分からないので、軸が定まらないままいろいろ手を出してしまう感じはある。

最後に

正直、かなり心が沈んで胃がキリキリする状態でこの本を読んだ。ちょうど身体にまた一つ不調が検知され(一応だが初診の段階ではそこまでクリティカルではない)、それがどういう状態かも分からない状況を一人で抱え、どうしてこんな状態でも仕事に向かわなければいけないのか、どうやってこの状態で良い夫、良い父親でいればいいのかわからなかった。

本書を読んで何か解が得られたという訳ではない。自分がやるしかないことに変わりはない。でも以下一文は気が利いているなと思った。

深刻になりすぎる必要はない。 毎度毎度、真摯に向き合わなくてもいい。 答えを探す必要はもっとない。 ジョークを受け入れられず深刻に答えるような、ダサい生き方はしたくない。 いまだに将来に不安を抱える庶民暮らしだが、昔みたいに悲観的な反応はしなくなった。 人生は「答え」じゃなくて「リアクション」が重要な試験なのだから。 僕のリアクション、いい感じかな?

少々強引な引用なので、前後も読んで欲しいが人生はコントロール不能で思ったようにいかないことをもっと楽しまなくてはいけないと思ったのです。